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中心


昨日の朝、京都から戻り、まったく違う日常に驚いています。ゆでガエルが、ゆでられていることに気づいたのか、こうしてはいられないという気持ちで、今まで通りにいると胸が恐怖でいっぱいになります。不安を感じる時に、気づくと先生の音が止まっています。即再生ボタンを押します。先生の音に生きる世界がある事を再確認します。今まで以上に、先生の音の世界より生きられない世の中となったことを自覚します。先生の音と共にある時、安心します。真の意味で動く力となります。恐怖で動いても、空回りし頭も回りません。自宅で聴くCDが、コンサートの経験の様にリアルで、内面が愛に満ちていきます。ここで生きれば、見えない世界は開かれていて、なんて心地よいのかと感じます。ひたすらに、先生の音が中心に生きる世界で生きれば幸せな世界が広がっています。

今日は、超「俗」な経験をしました。くだらないですが、私だけのことではなく仕事の事も絡み、あまりに腹が立ってしまったので、相手にしてしまったとたん自分では理不尽と感じる言葉の猛攻撃をされ、怒りで身体が寒くなりました。相手は、いい歳の男性で社会的には変な方ではないのですが、私に対してはいつも変な人で手に負えないと感じています。いだき講座をお伝えして受けられても、私に対しては避けても避けても執拗にひどい暴言を投げるのが不思議でなりませんでした。ふと、相手を分かる瞬間があり、苦しいのだなと感じました。今まで通り、サラリーマンを続けることが限界にあり苦しいのかなと。そして、失礼ですが、寂しいのかなと。私にとっては、情状酌量の余地のない暴言ですが、相手の状態が分かれば、人は、怒りに支配されないのかと、ふと感じました。犯罪を犯すこととも繋がっている気がして、以前先生が仰って下さったお話がよみがえりました。犯罪は、社会問題という事は、ずいぶん前の社会学講座で理解したと思っていた事でした。当時、私が質問で、でも被害者の方の気持ちはどうなるんですか?とお聞きしたところ、若いのにこういうことを言っていると怒っていただいてから、犯罪の仕組みが見えてきました。今日の経験は、うまく言えませんが、そんなことを思い出し、「人間」とは、と考えていました。分かったつもりになっていたことも、不要な問題を招くようでは、人間理解が浅い故と分かります。

今、究極の位置にたち、踏み外せば簡単に落ちるようなところにいて、それゆえに、人間は人間になるよりないのだと、身に染みる毎日です。動ける言葉、「天才」「能力」「子供たち」「愛」「美」「五女山」「高麗さん」「王」。

ありがとうございます。

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