KEIKO KOMA Webサロン

不思議な経験


応用コース、存在論、ビデオ講演会に参加しました。前日までに『わかった』と思っていたことが、さらなる壁を突き破って大きくなる、初めての経験でした。体がやさしくて、頭と体が分離していることをはっきり感じました。体の要求をかなえるために脳を使うのではなくて、脳が察したことだけで行動して、それでいいと思っていて、いやまてよなんか体が苦しい・・・これは?と考えました。先生がいらっしゃるからこそできることであるのは明白です。自分のわるい因子に気付き、その流れになるのが面倒なので、気付いたからにはなるべく人の中には入らないようにという解決法をとってきたつもりでしたが実は1からなにも解決していなかったんだなとわかりました。そういうのがある、とわかり、解決策を講じたつもりが、体の声を聞けば、逃げたにすぎなかった。因子をわかったら、じゃあそうならないようにと何倍も能力を上げることに取り組むべきだったのに、逃げるほうに頭をつかってしまったんですね。目標を達成したとしても、この体の楽な感じはわからなかったとすると、しあわせを一つ知らないままであったといえます。

存在論では『考える』ことのお話からでした。今回東北センターへ来た初日に『人が好きすぎて自分がわからなくなることが課題』と書き込みをさせていただきました。まさに考えられなくなる状態です。自分の状態がどうなりたいかということを考えていない。自分が一番望んでいることが何なのかわからない。先生が病院を移りお勤めをされていくお話をお聞きしながら『考える』状態について考えました。

存在論の最後の方には『差異』というお話があり、高麗さんがホワイトボードに『差異』と書いて下さりました。高句麗伝説に登場する楽器はじめ、楽器のお話を例に、同調圧力や世間とはまるでなじまない、みんな同じということはない無数の世界、個性を尊重すること、、、言葉にすると聞いたことがあるようなものですが、その中身はもっと深くこの世間の取り巻く日本に身を置き命からがらになっているすべてを引き上げてくださるようでした。最後にあったご参加者の方の質問へのお答えで、比較でわかることは差異ではないとお聞きしました。比較級はベースになっているものがまずあり、、、

美しい、醜いは、比較してわかることではない。自分の中の一番キレイを目指せば良いのに、そういう意味では身長~cm、バストサイズはじめさまざまな比較の基準をもとに美を競うコンテストなどはナンセンスと感じます。

先生のところでないと間違いなくできない未知の経験をありがとうございます。

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盛岡「高句麗伝説」にて
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東京カフェ高麗屋にて