KEIKO KOMA Webサロン

三鷹コンサートを経て


三鷹コンサートありがとうございました。

アントレプレヌールサロンの数日前に、映画『パプリカ』のような不思議な夢を見ました。

ある女性から命を狙われている男性を、私は助けようとしていて、その男性を蛾の中に隠しました。

蛾はゆっくりと、空に優雅に飛び立っていきました。

飛びながら、鱗粉を静かに散らしている。

その光景がとても印象に残り、ハッと目覚めると、汗を沢山かいていました。

その後、昔、友人と二人で制作した作品のことを思い出しました。

20代の頃、Plan Bで二人展をした時の作品を田中泯さんが見に来てくださり、「白黒の南方熊楠みたいだ」と言われたことがあります。

私はその時、南方熊楠を知っていたので、その言葉がとても嬉しかったのです。

作品には、白く塗った藤の蔓、紙と針金で作った岩、たくさんの石膏の蟻、岩の中から青い光が出ている仕掛け、渦巻くように伸びる藤、その中心に青く光る白いハート、友人の絵、階段を流れるように広がるウレタンフォーム、その上に浮かぶ空き缶などがあり、照明や音響も含めて空間全体をつくりました。

私と友人、それぞれ違うものを持った二人が出会い、さらにいろいろな人と出会うことで、最初には考えていなかったものが生まれていったのです。

高校時代、工業化学を学んでいた時にも、私は異なる物質が出会って反応し、まったく新しい物質が生まれることに面白さを感じていました。

今になって思うと、私はずっと、

「異なるものが出会うことで、新しいものが生まれる」

ということに惹かれてきたのかもしれません。

そして今、南方熊楠について調べたり、考えたりする中で、自然の中の小さなものから、人間、地域、歴史、文化、生命全体までがつながって見えてくる世界に強く惹かれています。

神社の森を守ることも、単に木を守るということではない。

そこには生き物がいて、水があり、土地の記憶があり、人がいて、祭りがあり、暮らしがある。

一つのものを大切にすると、その周りにあるたくさんのものとの関係まで見えてくる。

以前、故郷の神社のすぐ近くに工業道路ができた時、私は「どうしてこんな大切な神社のそばに道路をつくるのだろう」と直感的に感じたことがあります。

その時に感じた違和感も、今になってみると、自分が「一つのものだけを切り離して見る」ことが苦手だったからなのかもしれません。

人間も動物も、一つひとつ違う。

同じ生命は一つとして存在しない。

だからこそ、その違いをなくして同じ型にはめるのではなく、それぞれの生命がその生命らしく生きられる場所をつくりたい。

それが、今考えている「デイサービス2号店」の始まりでした。

最初から「デイサービスをつくりたい」と思ったわけではありません。

「私だったら、こんな場所に行きたい」

そこから始まりました。

古民家があり、畑があり、木々があり、水が流れ、季節を感じられる。

野菜を育てたり、魚を焼いたり、編み物や手仕事をしたり、音楽を聴いたり、歌ったり、子どもたちと遊んだり、動物と触れ合ったりする。

何かをしなければならないのではなく、その日の自分の状態に合わせて、参加してもいいし、眺めていてもいいし、何もしなくてもいい。

高齢になったから「してもらう側」になるのではなく、これまで生きてきた経験や知恵、技術、好きなことを持った一人の人として、そこにいる。

そして、80代、90代、100歳になっても、「もう年だから」と人生を終わらせるのではなく、やりたいことがあれば挑戦できる。

そんなことを考えていた時、葛飾北斎の生き方にも、とても惹かれるものがあり、以前読んだ文章を改めて読み返していました。

北斎は、70歳を過ぎてもなお、自分の画業はまだ十分ではないと考え、80歳、90歳、100歳、さらにその先へと、自分の表現を深めていこうとしていました。

「もっと生きて、もっと極めたい」

その生命の勢いそのものが、とてもかっこいいと思いました。

北斎の言葉です。

「己六才より物の形状を写の癖ありて、半百の比より数々画図を顕すといへども、七十年前画く所は実に取に足ものなし。七十三才にして稍(やや)禽獣虫魚の骨格、草木の出生を悟し得たり。故に八十才にしては益々進み、九十才にして猶其奥意を極め、一百歳にして正に神妙ならん歟(か)。百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん。願くは長寿の君子、予が言の妄ならざるを見たまふべし。」

画狂老人卍筆

また、『葛飾北斎伝』には、北斎が最期に、

「天我をして十年の命を長ふせしめは」

と願い、さらに、

「天我をして五年の命を保たしめは、真正の画工となるを得へし」

と言ったと記されています。

―飯島虚心『葛飾北斎伝』蓬枢閣、明治26年(1893)

この北斎の生き方を考えていた時、ブルーゾーンとして紹介されているギリシャのイカリア島の高齢者の暮らしが重なりました。

イカリア島では、高齢になることそのものを特別なこととして扱うのではなく、日々の暮らしの中で人と関わり、歩き、食べ、話し、仕事や役割を持ち、好きなことを続ける。

「長生きするために特別なことをする」というより、普通に暮らしていることの中に、人とのつながりや身体を動かすこと、役割や楽しみがある。

北斎のように、年齢を重ねても「もっとやりたい」「もっと深めたい」と思えること。

イカリア島の人々のように、年齢を重ねても特別扱いされるのではなく、日常の中で人と関わり、自分の役割を持ち、普通に暮らしていくこと。

私がつくりたい場所も、そんなふうに「高齢者のための特別な場所」ではなく、年齢に関係なく、人が普通に生きられる場所でありたいと思います。

高齢者、子ども、家族、地域の人、スタッフ、農家、職人、アーティスト、音楽家、動物、植物。

それぞれ違うものが同じ場所にいて、無理に一つにならなくてもいい。

違うもの同士が出会うからこそ、そこから新しいものが生まれる。

蛾の中に隠されていた生命が、やがて空に飛び立ち、鱗粉を散らしながら悠々と飛んでいった夢の光景も、今の私にはそんなふうに見えています。

生命を守るということは、ただ危険から遠ざけることだけではなく、その生命が本来の形で生きていける環境をつくることなのではないか。

そして、人が年齢や立場によって「もうここまで」と可能性を閉じるのではなく、最後まで「もっと生きたい」「もっとやってみたい」と思える環境をつくることなのではないか。

デイサービス2号店は、その「村」の最初の核になるのではないかと思っています。

最初から完成した村をつくるのではなく、人と人、人と自然、人と動物、異なる世代、異なる才能、異なる文化が出会う中で、少しずつ村になっていく。

「施設」ではなく「村」へ。

そんな場所を、私はつくってみたい。

そして今、もう一つ知りたいことがあります。

いだきしん先生が以前お話しされていた「村づくり」とは、どのような村なのでしょうか。

人間だけではなく、自然や動物も含め、一つひとつの生命が生きられる場なのでしょうか。

年齢や立場、能力の違う人たちが、それぞれの個性を持ったまま出会い、そこから新しいものが生まれていくような場なのでしょうか。

私が今見え始めている「村」と、先生がお話しされている「村」には、どんな共通点があり、どんな違いがあるのでしょうか。

これからの時代に、人が本来の生命を生きられる「村」とは、どのようなものなのでしょうか……。

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