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三鷹の地にてのコンサート


仙台での大きなコンサートを経験した後の、心理的に自立した感覚なのか、これからは今までとは参加の形を変えようと考え始めました。本日は第一部でのアナウンスでは「頭」のことでありましたが、ひたすらに三鷹の地の高句麗的な旋律が続き、その中でもフィルタがかかっているような頑なな自分があり、自分の中の果まで行き着いたような感覚でありました。しかしずっと身を委ね聴き入る中、ふとある言葉が湧き、涙が滲み、自分は先祖の代表として今ここに在ることが過りました。先祖のことを忘れている自分でした。第二部でもまた雑念が過り、もっと遠くに座るべきだったと感じられる程に色々と頭を過りました。そして、最後に行き着いたのが母でした。ちょうど今朝の番組の特集が「毒親」についてで、それぞれの立場から解析し考える内容でした。もしかすると、本日の一日はこれに始まり思考が止まってしまっていたのかとも考えました。母が「毒親」であったとは思いませんが、家庭は社会の縮図でもあると考えると、制約されることや抑圧されることは普通なこととし過ぎたのだと感じます。しかし、母も私もやはり人間としては悲鳴をあげていたのは確実です。会場を見渡せば、親子関係をひきづり在る方々は多いだろうと感じ、もしかすると私に同じく、今日顕れ出ているのかもしれないとも考えました。何か本日は投げやりな自分がありましたが、先生の表現に「格好良く生きる」という言葉が灯り、心が晴れる感じがしました。「虚栄」ではないかとも考えたりとしましたが、否、自分を「律する」こととわかりました。大宇宙、その遥かな世界と繋がることは、そうであることとも理解します。この変換の時に正しく私の中の「母」が顕れ、整理されたのかもわからないと感じます。
明日の府中でのコンサートも、よろしくお願い致します。

田嶋利江子

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