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三日間の高句麗伝説が終わり 京都にて


三日間の高句麗伝説コンサートをありがとうございます。

応用コースとビデオ講演会をありがとうございます。

コンサートの翌日は奈良の飛鳥寺と箸墓古墳(はしはか)に行ってきました。橿原周辺も行きたかったのですが次の機会にしました。奈良盆地は、北上盆地によく似ていると来てみてつくづく感じます。

奈良高句麗伝説で高麗さんの明日香(飛鳥)の表現を聞いた時に何かピント来るものがあり、大化の改新645年はクーデターで高句麗(高句麗人が中心)が乗っ取られたのではないかと感じました。百済滅亡が660年。高句麗滅亡が668年と歴史書ではなっています。そして王を王として迎える事は出来なかったのはこの事だと感じたのです。大化の改新の数十年前は聖徳太子が活躍していて蘇我氏と共に政治の中心でした。聖徳太子の師は、高句麗出身の慧慈(えじ)です。その慧慈から文化や制度を学び冠位十二階や十七条憲法を定めました。遣隋使との交流も盛んに行われていた時に慧慈出身の高句麗とも当然文化、貿易等の交流も盛んであった事は当然伺えます。しかし飛鳥寺では百済と新羅の名前しか出ていませんでした。奈良の暗さというか気持ち悪さは歴史が隠されているからと感じます。遺跡や史跡を訪れて見たりすると違和感を感じます。看板に書いてる文面も百済や新羅の事を書いていて高句麗をあえて書いていないことに違和感を感じるからです。これからの奈良で隠された沢山の本当の事が現れる事を望みます。

盛岡に帰る予定にしていましたが飛鳥寺行き、三日間の高句麗伝説を経験して、コンサートの凄さがあり応用コースに参加しないで帰る気にならずに応用コースと翌日の存在論と死についてにも参加する事にしました。とても大切だと感じたからです。ビデオ講演会での高麗さんのお話はいつも大事な話ばかりで聞き逃せません。応用コースでも質問された方からの話で目についてのお話を聞いて、目は全身の病なので目だけという部分ではないのだと知りました。全身のことを考えないといけないのだとわかりました。いだきは全身の良い状態をつくっていくところと頷きます。食べ物では、今日食べ物が悪かったら一週間体悪いとの話から、なるほどと自分でも思い当たる経験がありました。それとパートナーの見極め方の話もあり面白い応用コースでした。何よりも凄いのは、先生がこの三日間で変わられたとの話から先生の存在が現れたて真現る時が来たのだと。先生が応用コースに参加してるだけで、私の体にはなんの負担もなくとても体が軽くて頭も軽くて空っぽになったくらい軽く感じました。先生本当に凄いって体で感じています。今日となりましたが存在論と死についてに参加します。

ありがとうございます。

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