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嫌なことや苦手なことがチャンスに共感


動けない自分を恥じている状態でした。
先生のピアノを聴いているうちに、怒りがわき上がる。
「モノじゃない!」
先日の応用コースでも改めて「対象化」のお話をして下さいましたが、モノ扱いに対する怒りや悲しみに寄り添って下さっている感覚がピアノの音ありただひたすら嬉しく感じた。
こんな怒りや悲しみを隠したままなんて、それこそ私が私自身をモノ扱いだ!
就職活動。進められているのは、それこそ共感が起こって幸せなこともあるからだ。一人だったら続けていられなかった。先生のコンサートにこんなに参加し続けられているだって、まさに幸せだからだ。決して、参加し続けるという結果だけ追ったものじゃない。
そんなで目が覚めた第二部では、うずうずと無性に先生のピアノを耳を傾けたくなったのでどんどんのめり込んでいった。この「無性に」という感覚が妙に新鮮に感じられて、初めてこの幸せな感覚を終わらせたくない!と思った。今まではコンサートでは幸せな気持ちになりつつも何をしたらよいのやらと途方に暮れて、結局何もしないで忘れていくことばかりだったので(「共感」だって無意味と打ち消さなくてよかったと今では思っている)、終わらせたくない!と思って動いたのは初めてだった。
まずは無性に怒りを叩きつけて吐き出したくなったので、雪掻きをした。やっているうちにしてあげると喜ぶだろうとの気持ちになり、結果的に自分の家の周りだけではなく向こう三軒両隣。別の嬉しいこともあった。同じくこんな時間に雪掻きしていた高校生の子と話して共感しあえることがあった。21時から深夜2時にまで及ぶ無性な雪掻きをできてしまったのも、彼女の存在もあっただろう。久々にヘトヘトになって満たされてグッスリ寝られた。
改めて表現してしまった方が楽なので白状すると、私は先生の仰ることの深いところまではおそらくほぼ理解できていないだろう。でもこうして書き綴っていると、「理解できねば」と無理に頭で理解しようと試みるよりは、経験を重ねて一つ一つ体で理解する方が性に合っているように思う。今こうして感じている幸せも、以前の他力本願で相手のことが見えていない状態では決して分からなかったことだろう。
「直観」について先生が仰ることも経験を通じて、それこそ生命でハッキリと分かる幸せを経験したい。

追記 そんな折、高麗さんの書き込みを見て嬉しくなってしまった。嫌なことや苦手なことが高麗さんにもあるんだ、とホッとしてしまう。でも、苦手なことや嫌なことにチャンスがあるという話に共感できる。「共感」なんて不必要で無駄なものだと決めつけていたことがあったからだ。心通じ合える人との会話は必要であることをしみじみ感じる、にも同じく共感。私も頑張ろうと肩の荷が下りる。五女山の春飲みたい。

中川秀之

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