コンサート
今自分の極身近で起こっていることが、日々スマホに入ってくる戦争のニュースと重なり整理のつかない思いで過ごす1週間でした。あるトラブルがどんどんと大げさになっていき、話し合いのできない状況まで発展していました。そこに渦巻く相手への復讐心や憎悪、攻撃の姿勢は、相手が個人か国かの違いにすぎず、まるで戦争とおなじではないかとおぞましさを感じていました。いかにしてこの状況から抜け出し、解決の方向へ向かうかを考える毎日を過ごしていました。
そんな状況下で経験させていただいた今日のコンサートに答えはありました。本当にありがとうございます。
イエスキリストが傷ついた身体のまま復活されたことの意味を感じる経験でした。傷ついた身体のまま復活されたイエスは、傷つけられたことの復讐をするでもなく、恨むでもなく、なおも人を、敵をも愛し続けたことを感じました。傷ついたことをそのまま受け入れ人間として生き続ける存在があることに震えました。コンサートのメッセージはやっぱりそうなのか、と納得するものでした。昔は特に外側から入り込まれたエネルギーによって自分の身体が動かされていく状態をしょっちゅう経験していました。自分の生命の感覚を失っているときは先生の存在ははるか遠くに感じ、声も言葉もよく聞こえないことを経験しました。今日もピアノの音と共に自分の身体の奥深くを取り戻していきました。10代のころよく日記に書き記していた「人を愛する生き方がしたい」という気持ちがよみがえっていきました。聖書を読んで知った「愛」という言葉を分かりたい気持ち、人を愛する生き方がしたいと強く願っていたことを思い出します。愛はイエスキリストの存在そのものであり、この対立、分断、争いの唯一の解決の道であると感じ感極まりました。争わずして勝つ道筋を見つけたと感じます。
身近で経験している対立行為のばかばかしさ、お金と時間の浪費としか思えない状況下ではすべて投げ出したい気持ちにもなる一方で、その中心で抜け出し解決していかなければいけない立場にあり、無我夢中で、必死になっている状態だからこそ、真剣に何が最も大切なことなのか、自分はどこへ向かおうとしているのかを問うことができているのかもしれないと気が付く瞬間もありました。危機的状況になり、人間性を取り戻せるチャンスを与えられているのかもしれないと感じたとき、この機会がありがたいものと強く感じられました。
コンサートが終わったあとは、身体から何かが抜けたようでふらふらでした。新たな生命を得てまた明日から進めますこと、本当にありがとうございます。
