エクスプロラー
さっきも小さな地震があった。故郷を失った人々の「やりきれなさ」が伝わってくる。原発事故にせよ、戦争にせよ、人為によるものは、なんとかできるはずだ。東北大震災だって、ほとんど人為的災害の面があるとも聞く。日ごろからの生き方、在り方を問われているのだ。そう思って、収支のノートなどを整理し直し、経費削減の策を練っている。
そこへ、自己破産し生活保護を受け、なお生活が乱れ放しの知人H(75歳)から電話がかかってくる。多分姉にあたる人が奔走したのであろう、大阪の方の住宅型老人ホームに入って3か月とか。国民年金と生活保護費とで、月12万余の経費は賄え、三食付きで、やっと落ち着けたらしい。明るい声で、「先生も来たらいい!」と言う。へえ、一文無しになっても生きてはいけるんだと、ちょっと安心したけれど、入浴は週2回、5時から夕食、外出は控えてほしい、などという決まりが嫌だ。「自由」はないし、「自主性」の保障もない。
「エクスプロラー」というのは、探求者とかいう意味であって、パソコンのソフトの名ではないらしいことを知った。何度危ない目にあっても、遭難しかけても、山に行きたいわたしは、きっと「エクスプロラー」なのだ。現実のしがらみや金銭的困窮に足を取られても、あるいはどんな災難に遭おうと、探求心と回復力だけは失わないようにしたい。