KEIKO KOMA Webサロン

アメツチノ


先ほど、地震がありましたが、今夜は、地震が来る前に大地から大きな音が聞こえていたので、地震が来る心配をしていました。やはり聞こえてくる感覚は現実のことであるとわかり、気のせいにしたり、聞き間違えや見間違いとしてしまう今までの愚かな癖は直すと決めます。

昨夜のコンサートからの変化は、裏が表にひっくりかえったようです。コンサート後の夜には、歴史の影と感じる疎外感に苦しみました。紙に気持ちや感覚を書き出し、整理し休みましたが、なかなか眠れませんでした。が、朝になると昨夜苦しんだことはなくなっていました。いだき講座を受講した私たちは気づけばなくなることを皆様にお話しさせていただいてきました。昨夜は前面に現れた影に苦しみましたが、気づくと抜け出していたことに、真にいだき講座は運命解放、根源解決ができるということに、改めて奇跡を見る思いでした。運命解放されたことは生命をもってわかっていますが、歴史的なことと感じてきたことまでも解放の時を迎えることができ、とても助かりました。ビデオ講演会ではお話しさせていただきましたが、1300年もの年月を三鷹の地にて生きてきたのに、余所者と感じる感覚がずっとありました。若光王様の詩に詠ませていただいていますが、「この地の為にはたらき。。。」ただ、この地の為にはたらくことで生きる道を作ろうとしてきた感覚が私の代まで運命の因子とし受け継がれていました。根強くあったので、今でもあることが昨夜は浮き彫りとなり、考え続けました。

今日のコンサートの素晴らしい経験を書かせていただきます。

「磯城島の大和」

「磯城島の大和の国は言霊の助くる国ぞ ま幸くありこそ」

柿本人麻呂の送別歌です。大和の国は言霊のちから咲き誇る国です。「言霊」とあります。平安時代以前に言葉の霊力があると信じられていたと現代の解釈では解説されています。日本語の持つ特有の言葉のちからは現代もそのまま通じています。その例は日常には普通にあることです。言葉が通じない、通じていても言葉にちからがない時は関係は破綻します。言葉の意味、言葉のちからは想像以上です。日本語は内面美しく豊かに在る時、「いのちのちから」をそのままあらわせます。磯城島の大和はある時までは日本の中心でした。ふるきをたずねて懐かしんでいる時ではありません。内面の音をお楽しみください。」

言霊について、「内面の音」を感じることに集中しました。驚くことに演奏がはじまるとすぐに、天照大神が降りてこられ、語りかけてくださいました。私の内面を言霊によって祓い浄めて下さいます。「あ」の音と聴こえました。大宇宙が作られていくような体感でした。見える光景は、内面が綺麗に光となり、私はここに神様がお住まいになられるのかと神社の境内を想像してしまったのです。神様は、私を宇宙へ宇宙へと引き上げてくださいます。堺も限界も壁も打ち破り、宇宙へと上昇し続けていきます。神様を内に宿しては生きていけないのだと苦笑してしまいました。神様のダイナミックなエネルギーは、宇宙へ通じます。私の内面は宇宙とひとつとなりました。磯城島とはご縁がありよく訪ねた地でした。今もご縁は続いています。その地でお会いしました神様のことも思い出し、大和が今日はとても近くに感じられ、うれしいです。

第2部は「大和、大和の魂の甦り」

「本来は「甦り」とは、黄泉からかえる、あるいは生きかえるという意味です。ここでは文字通りの意味ではなく、もともとあった大和の地の息吹、精神などを意味します。さらに神まで顕した言霊のちからを得て、改めてしっかりと存在顕す生き方を即生きるということで使います。日本でいう神々まで隠してしまった現代社会において大和、大和の神々の甦りを祈念します。大和の神は生活、暮らしを幸せに生きる為にこそはたらいていました。」

大変感動します。本日のコンサートの「甦り」の意味は生まれてきた意味、生きる意味、存在することの意味を顕すこととわかり、求めてやまない生き方を今日のこの場でそれこそ「即」生きていけるとは夢のようだと驚喜しました。「大和の神は生活、暮らしを幸せに生きる為にこそはたらいていました」との最後のメッセージにも深く感動します。パイプオルガンの音色が言葉になりました。「あめつちのはじめの時。。。」と古事記のはじめの言葉が音となり聴こえました。アメなので、天の神と受け止め、ツチは地の神と受け止めました。それから「高天原」「天の御中主神」「高御産巣日神」「神産巣日神」と、昨年末のコンサートの時に登場された神々が登場されました。私は、この時、胸の苦しみにより、動けなくなり、循環器科の病院で倒れ、検査結果は幸い異常なしで病院からは出てこれたのですが、胸の苦しみは続いていました。先生から神様の名前を声を出して言うことを教えていただきました。胸が苦しくて耐えられませんでしたので、必死で神様の名前を何度も声を出して言いました。苦しみはやわらぎ、次第になくなってくれることがうれしくてありがたくて深く感謝しました。コンサートでもお目にかかっていましたので、日本の神様のことが体でわかるようになっていることを今日の演奏をお聴きし、名前が自然と出てくるので、とても助かりました。ピアノの演奏からは、素戔嗚命を感じました。その時も以前訪ねた出雲の川が目にうかび、大暴れしている素戔嗚命が鮮明に見えました。八岐大蛇を退治している様まで見えました。荒々しい乱行により天上界から追放され、邪を祓うので、武の神とし崇められたとのことや暴風の神と言われたこと等が自然と心に浮かぶのでした。高句麗の好太王様のようでもあると感じていました。演奏中、ずっと見えていましたことは、天上界と地上界のことです。高句麗の精神は、天上界を地上界に実現する意味があります。天上界とはどのような世界なのかを考え、演奏から見させていただきました。破壊と創造の連続でした。常に動き、止まらず、溜めず、滞らず、何もないところから生命が生きていけるようにはたらき続け、動き続けていく世界でした。とても軽快で楽しいです。気づけば体が熱く汗まで滲んでいました。自ずと自分のやるべきことも見えました。まずは実行してみます。真の資質を活かしていかないことには神ははたらけないことがよくわかりました。どんなに真面目に一生懸命はたらいても、真の資質でないことを一生懸命やっていることは外れていくだけです。要にあり、生きる生命です。演奏中ずっと経験させていただきましたことは、日本の神様と触れ合う時、言葉が生まれ、音となります。生命の音です。生命が浄められ、光となるのです。感動よりありません。神を畏れない現代人は礼節を知らない故に化け物のようになっている姿も見えました。今日も出掛けにニュースを見ようとテレビをつけると、ものすごい汚れた邪のエネルギーが発せられているのが見えました。この邪のエネルギーを知らない間にあびたら、自然に人間ではなくなり、身動きできなくなるとはっきりと見え、即座にスイッチを切りました。人間ではなくなる仕掛けはあらゆるところにあふれています。先生のコンサートを経験させていただけますことは人間となる道であります。日本の国創りの源にあるエネルギーを経験させていただき、皆がすこやかに暮らしていけるように神様とひとつにはたらいていければ幸せです。ありがとうございます。

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マドリード ギャラリーより
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比叡山 工房にて
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何を見てどんな事を感じ、考えているのでしょう