やわらかく呼吸する“今ここ”
京都の朝はポカポカ陽気で中心部から少し外れると静かで落ち着きます。イラン、米国、異和する世界情勢を感じながらも粛々と今ここにあります。
いだきしん先生にお会いして間もない応用コース(当時は第3コース?)で人生は100歳と仮定して、家族や周りの人たちの将来のことも考えてどう生きるかを考えることを教えていただき、当時、畳一畳分あるホワイトボード2枚を購入し、自室で人生の展望を真っ白なボードに描きました。直観力は当時もまあまああったのですが、今振り返ると丁度その頃に”一つの山”と想像した年代になり、内面と外側の一体化という到底実現不可能と考えていた大テーマに近づいてきてるのを感じます。
はじまりは玄牝です。そして先日の狛江の”皮膚のやわらかさの回復”、 “愛の原初”というコンサート経験に至り、自己の身体や存在で感じて考え動く知性が身についてきたようです。また当時、ホワイトボードに日本地図、世界地図を描き、世界のなかの自己(今はそう表現できますが、当時はぼんやりとしていました)への成長を想像していました。やわらかな皮膚の感覚や神々、自然知性、大道、そして冒険というこのところ次々と教えていただくことが身体、からだのはたらきそのものに直結していることは想像さえ不可能な全く驚くべきことですが先生が見出された答えは必ず身体、内臓、からだにあるとは想像していました。そして最も大事な講座、コンサートという「実践」を経て身につくことも自己の身体、からだで実証されてきています。10日ほど前は九州に、その後5日間ほど東北へ、山元町周辺を歩き、東京、京都と移動していますが、いだきしん先生との出会い当時の各地同行も含めてその後もずっと列島各地を歩き続けて、少なくとも現在の「日常」は日本列島を自己のフィールドとして生きることがとても落ち着く居場所です。
昨夜から京都に入り、うっかりコインランドリーがないホテルに泊まってしまって早朝から近くのコインランドリーに入りました。両手のリウマチを患いながらも80歳の男性が一人で1週間分の洗濯物を抱えてやってきて洗濯が終わるまでの約1時間、話していると山元町も京都も変わらぬ生きにくい空気を感じ、まさに田舎も都市も変わらぬ列島一つに観える「一人一人の人生の実情、覆うようにある世界、社会が抱える大きな課題」を感じます。幸せな暮らしを創ることはいだきしん先生が老人ホームで実現されてきた実践と内面を豊かに磨き皮膚の内外(ウチソト)一つを回復する いだきの実践を合わせて応用することと強く感じます。
蜻蛉日記の時代より複雑な「迷宮」、自己同一性の喪失という「現代の迷宮」を超えるにはお互いを認め、生かし合う全く新しい関係性の中で自己の存在を表すことが真に未来を拓くと観えます。この十日間、列島を歩き続けてきましたが、自然と「真に考える時」を迎え、応用コース、存在論があり、明日はコンサートがある巡りに心より感謝致します。いつもありがとうございます。
