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できないことに挑戦せよ


こんにちは。某地方から狛江へ出征などというだいそれたことは口に出しただけでも抹殺されそうな今日このごろです。新型ウイルスで亡くならずとも、頭がぼーっとなって、からだがだる~くなって、動けなくなってどのみち隠れてしまいそうです。動いた方が某地方のためにもなると勝手に思っていますので(確信していますので)、対策をしっかりとし、ほぼほぼドアツードアで動けるようにして、一番必要だと感じる情報を手に入れるだけです。親のことは大好きなんですが別個の人間ゆえに、考え方や感じ方が当然異なり、全部全部は話せないことが心苦しいです。ごめんねと思いますが、本当にともに生きていくためには、親の人生と自分の人生も分離しなければいけません。

ご参加者のご質問への先生の答えが自身へも響きました。私自身、占い等を言い訳にできる範囲のことしかしない傾向があります。さきほど少しおくればせながら注文していたアンリ・ベルクソンの『創造的進化』が届きました。数ページ繰っただけですが雷が落ちたような数行に巡り合いました。筑摩書房のもので、P24からの引用です。

 完成した肖像画は、モデルの顔立ち、芸術家の本性、パレットの上で溶いた絵具によって説明される。しかし、それを説明するものを知っているとしても、誰も、たとえ芸術家本人でも、その肖像画がどのようなものになるか正確に予見することはできなかっただろう。なぜなら、それを予見することとは、生み出される前に生み出すことであって、自己破壊的な仮定であるからだ。われわれがその作者である、われわれの生の各瞬間についても同様のことが言える。

占いで自分はこうこうこういう人間だから、こういうことしかできないはずだ。と決めてしまうのは、まさに自己破壊的な仮定でありますし、占いを理由としなくても何かしらで、そのような自己破壊てきな仮定を誰しもしていると感じます。

出来ないことをする、といえば、遠山先生の数学の本を継続して読んでいますが、ある本はもはや最初のほうでわからなくて躓いてそのままです。2進法がわからないのです。???となったままです。テクニックとして問題を解くために知識を身に着けるのであれば可能ですが、そもそもどうして0と1だけですべての数を表すのかがよくわかりません。六十進法であれば、時計のように60秒までいったら次の単位へ進み1分となるとわかります。実用としていないからピンとこないだけでしょうか。

夢と現実が美しく表れた企画書を作成することもまた、出来たらよいのに出来ていないことであります。「こういう世界を創れたら最高で、そのためにはいくら予算がかかります。地域を社会調査してデータをもとにしています。」そんなことを言いながら企画書を差し出せたらどんなに天才でしょうか。地域なんて歩いているだけで具合悪くなってきますが、今の時代はインターネットなどのツールで調査をすることもできるかもしれません。歩いているだけで具合が悪くなってくるなどと言ってしまいましたが、先生や高麗さんは私より何倍もすぐれた感性・感受性を持ちながらも、具合が悪いなどとはぼやかずにこれまでの世界を変えてきて下さったんですよね。だからといって自分が苦しめば先生や高麗さんを理解したことになるというのも間違いで、やるべきことをやったらよいのだと考えます。

ひとつ、(できることですが)先日したのが、教室の奥にかけていたデジタルマーブリングカーテンの「青龍」と「歴史の大ロマン」を外から見えるところに設置しなおしたことです。天と地がつながり、隣の遊歩道にいるカラスがイケメンになり、こどもが近づいてきて、近所の草木もより色濃く揺れ、たいしたことはしていないのに不思議だとそのとき感じました。カラスの斜め45度の顔があれほど神妙だったことはあまりないです。その後一晩寝て、起きても、「やるべきことをやった」という感じが体にしっくりとありました。しかし数日たつと、遠目には思ったよりも小さく、「あれ?これっぽっちか」という印象があったので、もっと目立つようにという欲求が現在湧いています。

生きる基、生きている、もう少し良く生きる、理性でものをちゃんと考える。段階を踏んで整理して、自分自身の基本を身に着けます。

今日はアントレプレナーコースの1日目と伺っております。

知らないところでもどんどん解決へ向けて動かれることを忘れずに、出来ないことへ挑戦する癖をつけていきます。読んでくださりありがとうございます。

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