KEIKO KOMA Webサロン

おおいなる存在とひとつ


今日から新しい出発の気持ちで渋谷でのコンサートに臨みました。

第一部「熱量」

「本来、物理的な意味は、熱エネルギーの大きさを表す量を云います、転じて、熱意、情熱の度合いを表します。何かを成す時に最も必要なことです。熱量がないと自己以外の何かに依存しがちになります。一人で何かをはじめるなどということは思いもよらないでしょう。熱量あってこその第一歩であり、そして継続してこそ同志が集まり、同志と共に熱量が高まり、少数であっても世界に必要な未来を創り続けます。熱量のないリーダーシップというのは、ありえません。熱量の乏しい恋愛も恋愛とはいわないでしょう。この身体内に空間から働き続ける「いのちのちから」をそのまま受け容れ、絶えず熱量を活かして下さい。熱量ない人生はありません。」

このピアノの音は何でしょうか、と心に問いながら、音が意味することを深く感じ、考え聴かせていただきました、この音は宇宙の生まれる3段階前とつながり生きる人生の一コマ一コマであり、毎日の日常の瞬間瞬間であると感じました。宇宙の生まれる3段階前の世界とつながる生命が生きる瞬間瞬間と感じ、ここでなら生きていけると生命が安堵します。そしておおいなる存在が現れていました。全ての音はおおいなる存在の現れであり、表現でした。これからの時代はおおいなる存在あらわれる世界で生きることを経験しました。最近のビデオ講演会にて、先生のコンサートは神様があらわれるので、神様に会うにふさわしくなるように内も外も美しく集うことをお話しさせていただいています。やはりおおいなる存在はあらわれました。いつもあらわれているのに、気づけないことは情けないこととも感じますが、今日は、一音一音はすべておおいなる存在のあらわれと感じました。「同志が集まり、同志と共に熱量が高まり、少数であっても世界に必要な未来を創り続けます」とのメッセージがずっと心にあります。やってみたいと望みます。

第2部「愛という熱量」

「熱量のない愛を想像できるでしょうか。愛は熱量です。当然、愛の場では愛という言語は使いません。熱量、で充分です。愛は実践によって鍛えられます。緻密に進みます。熱量は雑な事には無縁です。さらに意識的に緻密に計算されているような実践も、瞬時に冷めて違いがわかります。愛は熱量です。」

熱量という言葉通りに気付けば身は熱く、汗まで滲みます。最近の痛みや痛みにより痛む頭にピアノの音が響き、光に包まれ、悪いところが溶けていきます。悪いところは、おおいなる存在、はるか彼方とつながれない頭です。何故と問い、考えました。対象化している意識とわかりました。見た目が先行している意識ではおおいなる存在とつながれません。ましてや宇宙の生まれる3段階前の光を宿す先生のことはわかりようがありません。対象化する意識が溶け、おおいなる存在と一体となる経験ができました。これからの時代を生きていく人間の在り方を身につけることができ、最高にありがたい経験です。ガルーダや神々が現れ、真の動き方を示してくださいました。最後のアンコールでは魂震えてならず、私は東明王様と完全に一体となっている図形まで見え、体感もありました。何故、熱く気狂いのように、人間が生きていける新しい国創りをしないのか、と問われました。やりたい気持ちでいっぱいです。やるよりない人生であることは重々わかっています。今日から実行あるのみです。ありがとうございます。

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京都、八坂より
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新宿文化センター 大ホールにて
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高麗恵子スカイロケットセンターにて