ありがとうございます
いだきしん 先生と高麗さんに直接お会いできる機会があることで、また生きていけると命拾いをさせていただき、感謝よりありません。
1月11日狛江での「高句麗伝説」上映会が楽しみでした。先生が編集してくださったことを高麗さんの書き込みで教えてくださり、盛岡、仙台とずっと高麗さんがお聞きになられて魂覚醒する経験とお聞きしていたので、ここで自分も魂覚醒しないと、という焦りもあり、東京、東北、大津のコンサートチケット販売ができていない状態、大津の講演会への動員もやれてない状態で、高麗さんに合わせる顔がないのでした。上映会では先生の演奏が始まると全身がほぐれる様に眠くなり、日々緊張して不安の状態で生きているのがわかります。人が生きていける場を創っていく力、高句麗が愛から始まっているエネルギーを全身に受け、先生の存在に出会う様に高麗さんまで繋いでいく高句麗始祖東明王様の愛のエネルギー、好太王様の一言一言ことが生死を分けていかれる言葉の威力が心臓を直撃します。半端じゃ生きていけないと姿勢を正され、生き方を問われます。先生の表現される世界は次元の異なる宇宙が次々と生成されていかれていると感じると、先生の存在が本当にわかれば、こんな人間でいるわけがないと自問しながらも、この世から抜け出せず半端で堕落していることを認めて、どんどん人に会っていかないと苦しいばかりです。上映会の後のビデオ講演会では、久しぶりにお聞きする生の高麗さんのお声が身体の奥深くに響いてきます。どんどん人に会っていけないのは、愛がないからとわかります。自分勝手じゃチケットは売れないことを結果が語ります。命がかかっていない、覚悟ができてないです。それでも、応用コースで、先生が生命丸ごと受け入れてくださっているのが、先生の一言一言のお言葉の深さから感じ、涙溢れます。死霊についても初めて先生のお言葉で伺うことができ、先生が話し始めた途端に胸椎の3、4番あたりが急に痛くなって、息ができないほど苦しくなっていました。応用コースでの経験から、身体は死霊だらけなのかもと、どんどん人に会って生きてる人を講演会、コンサートに動員できないと大変なことになってしまうと体感します。生きている時に愛を経験できないと人間にはなれないと感じます。介護初任者研修も終了して、先日職場研修で小規模多機能居宅介護を経験させていただきました。また、アルバイト先では訪問入浴の研修も始まり、先生の老人ホームでのお話が身体の中で生きてることを経験します。先生のお言葉が生命の言葉であるということがわかります。もっと仕事ができる様になって、人の役に立てる人間になっていきたいです。チケット売りができれば、全てができることが頭でわかっているつもりでも、やらなければ愛はない、人間じゃないということです。愛ある人で生きていきたいです。
先生、高麗さん、いつも生きていける機会をつくってくださり、ありがとうございます。