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盛岡での応用コース、存在論、ビデオ講演会と大変楽しい時間を過ごさせて頂きました。

男性から言われて女性が傷つく言葉―

私は男ですが、言われて傷ついた言葉を思い出し、それを紙に書き、捨てました。

言葉は呪いです。普段は忘れたようにして蓋をして生活していて、しかし、そうして投げかけられた言葉の残滓のようなものが、ある場面になるとふいにあらわれます。そのとき、頭が霞がかったようになり、うまく言葉が出てこなくなったり、状況を飲み込めず整理できなくなったり、変な間の悪さや、言動の矛盾、身体の変化、人への配慮を欠くような、自分でもよくわからない行動を取ることに繋がっていると気が付きました。呪詛をかけられているような、「なにがなんだかわからない」、つまり支離滅裂の状態です。そこに本来の自分として存在していないので、当然、動きも止まり、角も立ちます。ただそこに流れる「自分らしくいられない」という寂しく冷たい孤独の風を感じるのみです。違和感を覚えつつもなぜそうなるのかがわからない、ただズレていることだけはわかる。けれどこのことをわかってもらえない状態、さらに相手への非礼が混じるなら理解も示されることはない。生きて死んでいるような状態です。これを味わうと気分が落ち込みます。

頭というのは、大変素晴らしいものですが、言われて傷ついた言葉までしっかり記憶しておくというのは、真面目なのか、だからこそなのかわかりませんが、やっかいなものです。それでいて、自分が言って相手を傷つけてしまった言葉の記憶は、もしかしたら万にひとつ覚えていたらいいほう、それくらいかもしれません。私も過去、女性にひどいことを言ってしまいました。その人を深く傷つけしまったと、高麗さんのビデオ講演会が始まると、急に涙が出てきました。もう二度と、そのようなことをしてはならないです。

すでに終わった過去の記憶でありながら、今まさに起きていることのようにして立ち現れ、そのことにより疎外されることが問題です。

これを解決する方法は、いだきしん先生の介護施設のお話や高麗さんのピアノ販売のお話の中にあり、また、いだきしん先生のコンサートであることを教えて頂きました。先生がコンサートでどのようなことを考え、やってらっしゃるかを聞き、本当に凄いことと改めて思いました。

ピアノの販売のお話を聞きながら、「3時間でやると決める」ことと「3時間でやれと言われる」ことは別次元に違うな、と思いました。光ある世界的な何かに向かうのか、それとも恨み辛みの混じる重い足枷をはめられるか。創意工夫の道か、制約条件の道か。存在とは、主体的であらねば存在とはいえず、そうでなければその存在の背後にどのような本質があるのかも見えてこない、本当の姿は見えてこない。そのように感じました。存在だけで勝負できる状態になれたら、どこで何を売ろうが関係ない、その域に自分が達せたら素晴らしいことです。

表現の場を持つことが希望です。どんなことでも、稚拙でもいいから、自分を表現していきます。自分の土地を持ち、耕し、種を撒くこと、実をつけ、また種を植えること。比喩的に表現すれば農業ですが、まさにこうした農業自体も希望です。活き活きと作られて、身体によく安心して美味しく食べられる農作物は、これからどんどん貴重なものになると感じます。

体型に関しても先生に質問させて頂き、スッキリいたしました。これが私なのだと。その上で、見た目を良くすることの大切さは、いだきしん先生や高麗さんの麗しいお姿、また、マーブリングを纏われた皆様のお姿からよくわかります。

ありがとうございます。

 

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