ありがとうございます
9/4渋谷さくらホールコンサートに母と参加させて頂き誠にありがとうございました。
盛岡、仙台のコンサートはLive配信での参加だったので、久しぶりの現地でのコンサートは楽しみでありながら怖いような気持ちでした。
8/23京都コンサートには仕事明けで15時過ぎに京都駅に着いたのですが、幻のコグリョカフェに伺う事が叶い、高麗さんに生命の光景を詩に表して頂く貴重な機会を得ました。
「 自分が受け容れられる範囲で固まることは終わりゆく 全てを手放し 広い世界へ 」
正直、そのお言葉を読んだ時に自分の在り方を悪いように捉えていなかった自分が居て、そのままだったら知らず知らずに駄目になってゆく所だったとヒヤリとし、そこから頂いた詩の意味を常に考えるようになりました。京都コンサートでは、自分の意識には身の保身で固まって変わらないでいようとしている状態が在ると感じました。全てを破ろうとするもの凄い光に最後は包まれ素晴らしいコンサートでした。
8/29盛岡コンサートの日は、日中に物事が全く上手く進まずに周囲が怖くなる程に自分が引っ込んでしまい、街中で突然胃の奥が痛くなり困りました。Live配信は部屋を暗くしてサウンドシステムの前で姿勢を正し、集中して聴かせて頂きました。第二部の演奏中に、音が後頭部に響き、ふと”私が愛を受け容れない”のだとわかりました。周りに受け容れて貰えないかのように苦しんでいる実は、自分の方が愛を受け容れていない。。と音から気付き、気付くと涙が一筋流れ、泣いている事にびっくりしていると、突然日中に痛かった胃の奥がギューっとなり、何か押し込めていた物が振り絞るように涙と鼻水が一気に溢れ出る瞬間がありました。解放後の脱力がありました。その経験から、自分の方が愛や大きな働きかけをシャットアウトしている状態がわかり変化の始まりでしたが、日々の中では意識の枠を変えられなかったです。8/31仙台コンサートも盛岡コンサート同様にサウンドシステムの前で姿勢を正し聴かせて頂きましたが、生活環境の枠を出られずでした。しかし9/4渋谷コンサートを聴いている時に、仙台コンサートをしっかり聴いていたことが経験として残っていて、姿勢正しくLive配信に参加する大切さに気づけました。
第一部は「いのちの力」でした。
最近、コロナ禍にあり、介護の仕事で関わる方々に様々なことが起こり変化の只中に在る事を感じます。訪問の仕事でも利用者様を巡る家庭環境、関係、状態が様々でかつ変化される中で、自分の受け容れられる範囲を超えるような場面に遭遇することも多くなり、メッセージのように正にわからなくて不自由な状態で困っていました。
演奏をお聴きしていると、徐々に盛岡コンサートで感じた胃の奥が明確に感じられて、本心はそこに在り、そこからエネルギーが湧いてくるというよりそこが演奏からキャッチするエネルギーの通り道となっている事が感じられ、頭へとエネルギーが抜けてゆき、身体と頭が繋がる体感があり、心身が安堵するのでした。
休憩中はまた自分の意識の制限をわかることが起こり、ちっぽけな意識の枠は困りものですが、気付ける事が変えられる始まりでもあります。
第二部は「源」でした。
演奏をお聴きしていると、太古の時にいるような、時間がわからなくなるような不思議な中に居ました。徐々に胃の奥がはっきり感じられて、そこを中心にエネルギーが身の内を下から上へ抜けてゆく体感があり、空間に何か大きい存在が感じられました。大きい、、、優しい、、、綺麗、、言葉にしようとすると形容詞となってゆくままに、その大きな、大きなあらわれにただ有難くて涙するしかなく、大きなお母さんのようだと包まれるような大きな優しさに涙しました。最後の演奏は経験が身の内に落とし込まれるように涙が引いて、ただそのまま、幸せを感じていれば良いと教えて頂いているようでした。
コンサートの経験を言葉に表現することは本当に難しいです。私は感じる、というところでわかろうとするので、感覚的なのは対象となっているとお聞きした時に、結局は全てわかったつもりなのかとも感じます。ただ、コンサートの経験が自身の成長となってゆくことが大事と考えるので、コンサートの中で経験し変化した状態を活かすことを日々工夫してゆけば良いと気付きました。いつも本当にありがとうございます。