KEIKO KOMA Webサロン

ありがとうございます。


 先生 高麗さん
 いつもありがとうございます。

 7月始まりの府中の森コンサート 参加させて頂きありがとうございます。
 あまりにも深い深い経験で、どういう事なのか、言葉にならず、考え続けています。
 第一部『世界を置き去りにしない』 パイプオルガンの音は一気に吹き飛ばして空間を広がるような迫力 ふっと宇宙のリズムと言葉を感じたけれど、ちっぽけな自分が吹き飛ばされるような体感、その後のピアノの音は伸びやかな音でありながら、音が一つ一つ身体の中に入ってくる、今までの音の中に漂うような心地良い体感とは違う、何かを思い起こされるような体感に、奥の奥にある…というのか、感じる…というのか、感覚のようでありながら、感覚とも違う、どのような言葉になるのかわからないものが感じられ、その感覚のような、回路のようなものと、一音一音身体の中に入ってきたピアノの音がつながる 触れる と何かが反応する かすかな体感がどういう事なのか、どのような言葉になるのか、胸の内が動くようでありながら、感覚とか感情ではない もっと奥の奥の事で、どのような事なのか、言葉を考えているうちに一部が終わり、休憩中も考え続け、ふっと仙台コンサートの日常と非日常を感じている時に日常の中に非日常があるというような感覚になった事が浮かびましたが、どういう事かはわからずに第二部『世界へ向かい引き受ける』のメッセージを聞かせて頂き、『世界は遠くにあるのではありません。』のメッセージに日常の中にある非日常という事がつながるような…かと言ってどういう事とは言葉にならず、そのまま音を聞かせて頂きました。終演後も奥の奥にある、感覚なのか感情なのか…存在とかエネルギーというような感じではなく、上手くは言えないけれど、回路が近いような、発信源とか発想というようなもの…そう言葉になっていくと表裏一体とか融合というような言葉がつながって、第一部の『ここでいう世界とは、身体が触れているすべて。』という表現の感じ方 触れ方 捉え方が変わるような、やはり言葉にはまだならないけれど、『1つめは、身体の外にある現実世界。人、街、自然、戦争、病院、家庭、経済、AI、亡くなっった人達、子供達など。』の表現に対する反応 どちらかというと嫌悪に近い小さな反応ではなくて、もっと大きなところでの反応 受け容れる…というような反応に変わると 苦手 あまり快く感じていないから、自分の中で、現実世界に合わせる事で、少しでも居心地良くしようする事が当たり前になっていた状態が感じられました。まだ上手く整理しきれないですが、そうすると奥の奥の回路 発信源 に触れる 現実世界はそのままで、そのまま受け容れる状態になると、今の状態が合点がいく、意識としては認めたくない、身体の不調 痛みがあり、身動きが取れにくい状態もそのままというような…あまりに深くてまだまだ言葉になりきらないですが、違和を感じていたことのつながりが少し明確に感じられるようになり、さらに言葉に整理できるように考えていきます。

 ありがとうございます。

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高麗恵子ギャラリーにて
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迎賓館コンサート
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盛岡市民文化ホール小ホールにて(9/13)