KEIKO KOMA Webサロン

ありがとうございます。


いだきしん先生、高麗さん、いつもありがとうございます。

「制約を打ち破る」とお聞きし、心が躍りました。コンサートの開催、誠にありがとうございます。衝撃的でした。いだきしん先生が、丸ごと受け容れてくださることの凄まじさには圧倒されます。ここ数日は寝ても寝ても寝足りず、大変眠い状態が続いていました。しかし8時間くらいの睡眠でも、2倍の16時間は眠っているような、深い眠りに落ちた感覚です。素粒子のレベルでは時間が無いのに、肉体のレベルになると時間があるという不思議さを思いながら、寝ている時は時間という概念を忘れている瞬間なので、物理的な睡眠時間が短くても長く寝たような体になればいいな、と思いました。

私は飛行機が苦手です。しかし飛行機がなぜ飛ぶのかの仕組みを理解できていないにもかかわらず、飛行機に乗ります。それはどこかで深く悩まないようにしているか、腹を括っているからだと思います。しかし、こと自分のことになると全ての条件を満たさなければ動かないような、そうした制約を課していたことを認識します。もっと言えば目的地すらスッポリ忘れているから、そのようなザマになるのだと思います。

いだき講座二日目の書き込みを拝見すると、いつも自身の経験を思い出します。あの時、時間はなく、ただ光を感じました。無限の感覚でした。あれが本当の意識ということでしょうか。そうであるならば、すでに経験しており、常にそれはそこにあるはずにも関わらず、世俗的な頭で生き、自らに多くの枷をかけており、意識ならぬ意識、まさに幻想を生きていました。情けないことですが、今そこから抜け出しているか、そうでないのか、わからない状態です。しかし、あの神性なるものが変わらずに常に在るのだということが今も途轍も無い希望としてあります。

ようやく先生や高麗さんのおっしゃっていることがわかってきた、と光明を得た次の瞬間、全くわかってなかった、と落胆と失望を右往左往と繰り返しながら、年々豊かな人生を送らせて頂いております。本当にありがとうございます。年々理解できることは己の傲慢さと幼稚さです。一つのことを理解するのになぜこれほどまでにわからないのかと、まるで禅問答のようなやりとりに苛立ち、その答えをズバリ期待するような日々でした。いだきの受講生の方々から様々にお聞きしても、結局は自分がどうしたいのか、どうありたいのかに帰結するので、やはり全ては自分次第、解釈は新たな解釈と分析を生むのみです。それでも、山の行より里の行と言いますか、日常の中でより多くの私事や雑事、仕事をこなせるようになってきました。つまり「やればできる」生命にしていただいたのです。頭の悪さが直進を歪曲するようにして阻んでいるのです。単純に必要な勉強がまだまだ足りていませんし、変なこだわりを持ってますし、これからを生きる上で必要な知識を体系立てていないことを認識します。私という自我は、全然関係ないことを頭に思い浮かべたり、本当にままなりませんが、私という生命がどれほど尊く、美しく、奇跡的なものなのか、身をもって経験します。講座やコンサートによって綺麗にしていただき、新たな見識を獲得し、考え方も変わっていきます。それを柔軟性や自己一致への収斂と捉えるか、軸無く本音を見失って迷走していると捉えるか、よくわからなくなるたび、講座やコンサートに参加することでまた新たな認識を得ることができます。どちらにせよ矮小で浅はかな私の思考など関与することなく、そんなものを遥かに凌駕する、いだきしん先生と高麗さんの存在の揺るぎのなさと気高さ、感応する私の生命に、ただただ圧倒され、頭を垂れるのみです。

思考とはこの世界を構造化することでもあると思います。子供の頃、昔話に共通するパターンから世界を読み解いていくように、数多ある神話からグレートジャーニーを知るように、世界を階層化、抽象化することで、この世界がどういう場所で、自分はどういう位置にいるか理解できます。しかしその構造を固定化したり、欠損したままにすると、それがバイアスにつながり自らの障害となってしまいます。常に新たな地平へと進むことを忘れると停滞します。そうならないように、何が好きなのか、何にワクワクするのか、時々自分に問い直します。福岡伸一さんという方の本にあった「動的平衡」という言葉を思い出しました。ヒントとなる言葉です。海の砂は砂という形で存在していても、そこにあるのは元の砂に非ず。海の波も波としてそこに存在していても、元の海水に非ず。「今ここ」を常に更新し続けていく、止揚させ続けていける、そのような頭でありたいです。

すでに牢獄の扉は開いているのに、なぜそこから出ていかないのか。疑問文の体を成していながら、その答えはすでに知っているのに、目を背け、ただ正面から事実を受け止めらないが故に客体化し理由を創造しているのだと、私の在り方の問題を認識します。
私に大切なのは正しい知識であり、公正な判断であり、歩く身体であり、歩いていくための体力であり、何よりも生命のまま生きることです。

ありがとうございます。

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盛岡市民文化ホール小ホールにて
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社長室ランチにて
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比叡平 工房より