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 20日のコンサート二部の『〜例えば茶道』のメッセージを聞いて 『一期一会』と言葉が浮かび 茶道といえば 侘び寂び 一期一会 慣用句のように浮かんだのかとも思いましたが、上手く言葉にならないけれど 先生のピアノの 音からはそうではない 一期一会のようなものを感じ その後 どうつながるのかわからないけれど 深い大きな 鍾乳洞の中 大きな大きな鍾乳石の先端から一雫の水が 何千年何万年かけて滲み出てくる 体感を感じられました が 一期一会がどういことかはわからず…終演後も考えていたら、『今 ここ』と言葉になり、上手くはいえないけれど、瞬間瞬間 一瞬のこの時 は2度とこない というような事 同じようであっても、同じ時はないというような事 だから自分がちゃんと自分でないと感じられないというような事 先生の存在とかはたらきを謙虚に身の内に感じた時に 自分が持っていかれない 『今 ここ』を感じられるというような事 が繋がってきたら、鍾乳石の先端から一雫の水が滲み出てくる事もつながり 同じように見えて 同じではない 変化し続けているというような事 上手くはいえないけれど、同じ連続の中にいるのではなくて、瞬間 瞬間の中の連続? というような事が感じられました。だから 頭であーだこーだと決めてしまう事 過去を憂いて 未来を嘆く 同じ連続 連続の中の同状態になってしまうのだと…感じました。
 侘び寂びもよくわからないけれど、侘びている状態 寂ている状態が良いくらいに思っていたけれど やっぱり真逆? 侘びていく状態 寂ていく状態の中に美しさ 流れがあるというような事 侘びている状態では止まって感じるけれど、侘びていく状態は動いているから 2度と同じ時はないというような事 が感じられました。
 そう出来るようになったわけでも 何かわかったわけでもないけれど…先生が生活から見直して…とおっしゃった言葉が浮かびました。

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偶然、ハイチの大使が高麗屋にお越しくださいました。
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