KEIKO KOMA Webサロン

ありがとうございます。


遅ればせながら、連日のコンサートをありがとうございます。これまでがどうだったかに関係なく変化していく、嵐のようなその速さにとまどいながらも、不思議とそれを違和感なく受け容れられ、職場をはじめとした周囲の人たちと全体として動き、自然な形でともに働いています。その見事な「はたらき」ぶりには、まるで何かの法則で動いているようで安堵感をおぼえるほどです。ありがとうございます。

人と人が一緒に生きている間に、不安や心配、恐怖が常であることのほうが異常で、それを放置して生きることは、人間として生きることそのものを放棄しているようなものだと、いま理解します。人間として生きない限り本当の幸せはわからない、それをいま、身を以て学んでいる最中です。もしこれらすべてを先生が一夜にして変えてしまったなら、おそらく身体が耐えきれずに壊れてしまったことと思います。適切な時期があることも教えて下さいます。たくさんのメッセージ、コンサート、ただ感謝よりありません。とくにも17日は配信ながら音が本当に素晴らしく、身体と調和し、美しく響きます。余談ながら転調を考慮した平均律は本来の調和から外れているのですが、先生のピアノは先生の目的のためだけに研ぎ澄まされ、完璧に調律されており、まるでひとつのものだけを切るために作られた刃のようです。それが心地よく身の余計なものを切り裂き、まぶしい真実を露わにしてくれるようです。メッセージを理解するには頭が追いつかないながらも、いまはとにかく、どのような身の状態であってもいい、感情的な波があってもいい。先生のピアノが光です。前に向かっていきます。

おかげさまで会社では前からやりたかった自動化処理による業務効率化に携われています。忙しくしていますが、プログラミングでどんなアルゴリズムを組んでやろうかと考えるのが面白くて時間を忘れて集中してしまいます。締切があるわけではないのですが、無駄なヒューマンエラーとそのリカバリが減ればお客様はじめ皆がWinになれる、そういうものを自分が作れるのが嬉しく、どうしても早く作りたくなってしまいます。

なぜ政府の借金という考え方から脱却できずにいたのか、少しずつですが調べていくと、会計、財務省、財政法、憲法、戦争とつながります。面白いようにこれまで先生にお話して頂いた内容ともつながっていくので、興味と勉強は尽きず、頭の中を更新しています。おそらく一人ひとりは善良と思う職務を全うしてきたと思いますが、全体として合成されると必ずしも善良な結果とならない、良いと思ってやったことが、かえって余計なことだった。なんともいえない気持ちになりますが、先生のピアノにより、どんどん空間が整理されています。

京都コンサートには身を運ばせていただきます。こうしてこちらに書き込みするとき、いつも自分は話がズレていないか、と憂慮しますが、それも含めて、自分を改めさせて頂いてます。

いだきしん先生、高麗さん、ありがとうございます。

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吉祥寺ペニーレーンギャラリーにて
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東京高麗屋にて
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不死鳥の顕現/The Manifestation of the Phoenix