「志」を磨きに
世界中の道を歩くことができるようにと「靴」が発明されたとか、シュリーマンは、「トロイアの遺跡」を発見するために、まず銀行員になって、探検費用を蓄積してから、ギリシャに行ったのだとか、「志」を持つことについて、いろいろ聞かされてきた。ダイエーの創業者中内功さんの伝記に感激したこともある。昨夜、「凌雲の志」という言葉を聞いて、あらためて、いくつになっても「高い志」に生きなければならないと強く思った。しかし、79歳になってから、こんなことを言う自分が少し「阿呆」にも思える。「年齢なんて関係ない」というけれど、ハイディガーは、「存在と時間」で、「死」を考えなければならないとも言っている。明日死んでもいいから、「高い志」を持てということか。「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」かも。自分の「志」を磨くために、これから京都に行く。