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「学校school?」「はて、どういう意味でしょうか」


マルクスの『資本論』を2回読み、ずっと持ち歩いていたという、ウイリアム・モリスの『ユートピアだより』を読みかけて驚いた。主人公が紛れ込んだ新しいイギリス社会では学校がないのだ。「教育」educationが導き出すって⁈ 何のことです、って具合で概念さえないのだ。後で105歳になる人に聞いてみても、

子どもたちの能力と気質が千差万別であっても、慣例で適齢とされる 年 齢になると、学校に押し込まれ、そこに入ると、もろもろの事実を無視して、「学習」という一定の因習的な課程を受けさせられる。――友よ、それは心身両面の成長という事実を無視することのなると思われませんか。

と手厳しい。どうやらその社会では、「自分が知りたいと思ったら、知識はいつでもすぐ手に入るようになっている」らしい。自発的に思い立つのでなければ、学校は監獄であり、教育は強制でしかないだろう。

教育という仕事も未来にはなくなるのかも。学校は図書館前の公園になってしまうかもしれない。いや、「学校」を作り替えたらいいのだ、自由に知の習得が可能な、あるいは創造的な会話が可能な施設にしたらいいのだ、とは思うものの、「学校」の意味さえ分からない社会に紛れ込んでいる感覚は、しばらく大切にしたいもの。「国語の先生」はいないで、分りやすい発言、オリジナルな言葉遣い、明るい話し言葉を駆使する存在の方が大切なんだとわかった。(1/30)

 

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