KEIKO KOMA Webサロン

「地」


愛、宇宙、人間について・・この1年でやっとわかりはじめたと感じます。先生の存在無くしてわかり得ない自分の存在は果たして主体的と言えるのか?自律になるのか?模索し続けて、遂にこの疑問に答えていただいた25日の存在論。「間主観」という哲学的な捉え方があることを教えていただき、瞬間にビビッと身体に響きました。「我」の無い存在としてわかるし、「天生」を生かす自己の存在を考えると「間主観(性)」という先生との関係性での存在のあり方はどこかでわかりながらも「疑問が正確に言葉にならなかった」ために体内に違和感あるものとして残っていました。あの日から変わりました。

他の何かに依存することなく、それ自体のある何かとして存在する。(先生のメッセージ「存在の永遠」から)

随分前から感じていたこと、コンサート、講座の「愛の場、フィールド」の経験が日常の場に自然と連なり「自分の存在」を通して「先生の存在」が身近かにいる人たちへ伝わり、愛の場、フィールドが広がっているのではないかとの仮説の手応えを感じはじめます。それほどこの1年で周りの人たちの多種多様な変化を感じ、動きが生まれます。愛の場、フィールドが「間主観(性)」の状態で広がり、動いていると仮定すれば納得できるのです。先生とお会いしてからのメインテーマであり、「いだきで生きる」なら、きっと実現しているであろう状態をまさに人体実験と言っても過言でないほど列島各地を歩いてきました。

いだきで生きる大きな課題。やってもやってもチケットが売れないならどうするか?、先生の存在をお伝えするには「自分の存在」、「自分の生き方」で表すよりないとある時から考えはじめ、自分が「成る」よりないと考えました。そのプロセスでその時々に最もわかりたいこと、自分ではもうこれ以上わかりようがないことがわかり、疑問が沸点に達した時に講座にて「生まれるに任せて質問する」姿勢に徹しました。その時に先生の答えをいただく。「間主観(性)」の関係性を主体的と言えるのであれば、やっと「いだきを生きる」未来が見えます。まだまだ勘違いのこともあるとはしても飛翔する時を迎えたこの1年を強く感じます。

いだきしん先生、高麗さん、いつも尊い経験の場をありがとうございます。

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東京にて
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仙台より②