KEIKO KOMA Webサロン

「国創り」


京都から高知へと、94歳の母にとっては多少過酷な道中なのではと懸念していましたが、京都コンサートに参加した母は大変エネルギッシュでコンサート翌日は意欲的に高知への初旅支度に嬉々としていました。京都コンサートの先生のお衣装のことを高麗さんから講演会やお手紙で伺っていたので、先生が登場された時には、後方の席からであっても息を呑みました。壮大な世界の中で、自分が自分を小さく閉じ込めていることがわかると、一気に広大な果てのない世界へと飛び出しました。この世界で生きてこそ「自由」である生命と感じ、2部では「魂」を磨き成長する場にいることが、真の人生を歩める基本であることを、いのちの喜びをもってわかります。コンサート動員をやり切れない状態で参加しているコンサートでは、先生の表現されていることがいのちのお掃除に留まってしまっていることが、京都でも、高知でも感じられ、先生になのか、神様になのか、多くの魂になのか、とにかく「申し訳ございません」と、言葉がいのちの奥から込み上げてきました。そんな状態であっても、母と一緒に高知へと伺えたことに感謝よりありません。京都から明石大橋を渡り、国生みの淡路島を縦断して、鳴門海峡を渦潮を見ながら渡り四国、徳島に入りました。徳島へはコンサートや高麗さんの講演会で大津から車で来たことがあったのですが、高知へとさらに吉野川を遡るように進むと、先生が阪神淡路大震災後、女性の神様に導かれ、淡路島から徳島、阿波国に来られたお話を思い出していました。三好市を過ぎ、高知まで107kmの標識を目にした時、そんなに遠かったかしらと思い、かつて2004年甲子申年に沖縄から青森まで国創りとして高麗さんの本音の講演会と「高句麗伝説」を開催された時には高知を担当していたので、その当時は遠く感じなかったことに何故かを考えていると、その時は東京から飛行機で何度も高知に来ていたのでした。今回は車で高知に来るのは初めてだったのでした。吉野川沿いの道を四国山中に南下すると何故か、若き日の空海が四国の山中で修行していたことを思い出し、深い山々に神様を感じながらの移動となりました。母にとっては淡路島も四国も初めての経験でしたが、道中の自然の美しさに感動し、美味しい魚に感動し、コンサート開場を待ちながら、夕暮れの高知県立美術館のお庭の美しさを堪能していました。母が喜ぶことは自分の喜びでもあり、大変幸せな経験に感謝よりありません。お迎えくださる高麗さんの笑顔は一番の力、魂の糧となります。先生の美しいということには限界はないと感じる、毎回さらにさらにと美しい世界を経験させて戴きますと、個人の幸せに留まっているのは本来の自分のあり方ではなく、もっと世界へと感じるです。高麗さんの楠木の下での世界へと広がる国創りに、原点に戻り、「高麗恵子後援 しゃくやくの会」が本来の発足の意味を発揮できる地域に根ざして活動をしていこうと一切を見直し再スタートを切ることができます。本日は高知から愛媛、瀬戸大橋を渡り倉敷を経由して大津へ戻ります。昨日のコンサートのアンコールで11月1日の新宿文化センターでの「高句麗伝説」に向かっていると感じ、リストアップと電話かけ、お知らせするを着実に実行することが動きをつくること心得て実行して参ります。ありがとうございます。

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ロームシアター京都サウスホールにて-1
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京都高麗屋にて
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清き雨深まり