KEIKO KOMA Webサロン

「ジェンダーをめぐって」に参加させて頂き。


始めにご質問された方の封建的環境にて自分が作られ、潜在的に抗いが残り続けたことに、自分の世代でもまだまだ、また今この時代でも引きずっていることを改めて噛み締めておりました。そこから、女は男を支える存在で、それが人間としても当たり前のことと刷り込まれ、昨日は前面をペットリとペンキで塗られているかのように、その観念がへばりついていると感じられました。私も男性を一般的に捉え対抗するところは無意識であり、またそれは人間として否定され子供をつくる性的道具として見られる恐怖心からくるのかもしれないとも感じ続けておりました。そんな中でも時々コンサート後は、男女それぞれが個々人として映り、性差なく在れる自分でもありました。子供の頃、姉を太陽のようだと詩に書いたことがあります。そして成長するに連れ、自分はどちらかと言うと「月」型で、実際に姉の「女房」的なところが今もあります。女性の中に「太陽神」があることに、まさか自分にあるのかと半ば疑い、良いのだろうかというおかしな感情もあり、戸惑います。バイアスは偏見ともお聴きし、また更に性差を解いて下さるお話しに、宿年の恨みに重なる悲願が解放される時とジワリジワリと沁み入り、厚い氷が溶け出します。何と言うことでしょうか。この歴史の大転換を成されることに、長きの人類を通して感謝と喜びが心の底に、また細胞一つ一つこの身体の全ての生物から溢れていると想像しております。ただ、どこか変な、軽薄な、よそ事に装う自分もあり、潜在的な何かが邪魔をしているのかと考えてもおります。本日の応用コースもよろしくお願い致します。
ありがとうございます。

田嶋利江子

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