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「わが人生は」


「わが人生は」

「わが人生は、言葉と出会い、自分に出会い、人と出会い、そして、神と出会っていく人生!」――“大和言の葉サロン”を開催し、メタファー(隠喩)について話し、実例として、その場で作ってみたもの。修辞法なんて、単なる言葉の綾に過ぎないと軽視する人も多いが、最近は、豊かな内面を育てるツールとして、あるいは平易な言葉で奥深いことを言う方法として、注目されて来ているようだ。「われわれはメタファーを通して、世界を理解するのであり、認識するのである。」と月本洋さんも言っている。(『日本人の脳に主語はいらない』)「発想を生み出すメタファーの機能」が大事だと、片桐ユズルさんも盛んにおっしゃっていた。いかに豊かにイメージできるか、いかに感覚を豊かに保てるかが重要なのだ。そのためには、新鮮な比喩を使うこと、言葉の感覚を常に磨くことだと考えている。

ところで、別な話題でもあるが、昨日、『関西フォークとその時代』(瀬崎圭二著)を読み、片桐ユズルさんを軸に展開された関西フォークソング・ムーブメントについての論述に触れ、なにかわが人生の概要について、語られたような気分になり、感慨に耽っていたのだ。著者は、「関西フォークとは、民衆の一人として自らの思いを〈うた〉にしていった若者たちと、それを支えた知識人たちによる声の対抗文化だったのである。」とまとめている。それに異論はないのであるが、80年代に入り、急にその限界芸術性を失い、カウンター・カルチャーの勢いが消え、どこにでもあるファッションの一つになってしまったことや、いまなお「シングアウト」にこだわり、マイナーの視点を見失わず活動している人々のことを思って、「さて、どうしたものか」と思ってしまうのである。ちっとも夢に見た新世界はやって来ていないのであるから。(因みに、わたしは、1990年にユズルさんの紹介で「いだき」と出会ったのである。)

わたしは、へそ曲がりなのかもしれないが、上から決めつけられたり命じられると、反抗したくなる。「権威」には歯向かいたくなる。個人の自由を侵されるのが一番いやだ。だから、音痴だ下手だと言われるのに、歌いたくなるし、字が下手で嫌になるのに、板書したがる。できないはずの岩登りにも挑戦してしまう。この「反抗性」「対抗性」ゆえに、フォーク・ムーブメントに魅かれたのかもしれない。

ところが、今日、イダキシンコンサートのCD(2022.3.11.)のメッセージを、改めて読み、すべてがつながったのだ。「普段、感受性豊かに、内面、すなわち内臓豊かにあれば、身体は内面から、即外界に反応します。」とあり、「愛なき人生は体制に組み込まれ、自己の適切な判断力を奪われ……」とあったので、ともあれ内面を豊かに、感受性を磨き、愛に向かって、生きていけば、いいのであるとの導きを得たのである。そのためには、自分も含めて、常に言葉力を養い、会話の機会を創っていかねばならないと、行く道が明瞭になってきた!(3/17)

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