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「ひきこもり」について


かつて”英国病”というのがあって、福祉と経済の理想像を具現化しようとしたが、1960年代以降、社会保障費の増加で財政がひっ迫し、産業保護によって国際競争力が低下し、1970年代後半になると、社会は泥沼化してしまった状態をいうとのこと。それが「快癒」したのは、1982年のフォークランド戦争以降のサッチャー政権の強権主義だとのこと。「人間は保障されることで勤勉さを失う」という言葉に触れたとき、(塩田武士『罪の声』)なぜか「ひきこもり」のことが頭から離れなくなった。いまの日本で、大きな社会問題になっている「ひきこもり」の人に、どうアプローチしたらいいか、どんな言葉が有効なのか、考えるからである。いま勤めている高校でも各クラスに二人くらいは、長期欠席の生徒がいる。たまに出てきた生徒に掛ける言葉が見つからない。まさか、安全を保障される「家」が一番良くて、外へ出て行動する気力が湧かないからだけではあるまい。日本の社会の現状が「ひきこり」を蔓延させているのだろうか。
たまたま今朝の朝日新聞の「ひと」欄に、フランスで「ひきこり」の人たちのケアをする精神科医のことが載っていた。「ひきこもりはあなたの生き方。病気じゃない。」と言う。「ひきこもるのは、社会の何らかの課題を問い続ける人たち。かれらが教えてくれることを考え続けたい。」とも。だが、ひきこもる多くの人たちは、語る言葉を持っていないのではなかろうか。わたしの塾に通うA(かれは「ひきこり」でもないが)は、わたしが必死に話しかけて、やっと一言か二言話すだけである。家でも家族とも話さずゲームばかりしているとか。大津のBさんは、自分でひきこもりだと言うが、「高句麗伝説」のあと、ずいぶんしゃべるのであきれてしまった。だが、そのあとまた引きこもって、音信不通だ。「会話」が成立すれば、必ずことは改善されると確信しているが、そこへ導く「言葉」が分からない。教えてほしい。

 

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