KEIKO KOMA Webサロン

「おいで一緒に」


さあ、これから先駆けて生きていかねばならない!とは思うものの、「そんなこと言ったって」が去来する。地球温暖化の問題や、資本主義的収奪の激しさ、金とモノに疎外されまくって、すっかり「人間」じゃあなくなってしまった現状を、先生のお話で分ればわかるほど、金も知恵もない年寄りには、どうにもできないようにも思ってしまう。白井聡の『武器としての「資本論」』や、斎藤幸平の『人新世の「資本論」』を読んでも、「感性の再建」も「脱成長のコミュニズム」も、なるほどそうかとは思うものの、危機感は煽られもするが、具体的に明日からどう生きていけばいいのか、今の仕事はやめなければならないのか、というようなネガティブな思念に負けそうになってしまうのだ。

ところが、不思議なことが起こっている。コンサートや講座を経て、気持ちはわくわくするし、体じゅうに若い血が駆け巡って、経済的苦境も圧倒的勉強不足も体調の故障も気にならないのだ。演奏はもちろんだが、(昨日の応用講座のときのピアノは、わたしの体幹をしっかりしてくれた!)お話の場にいるだけで、背筋が伸び、弱音や不安を一掃してもらえて、心地よい! 講座のときの、先生の視線の意味が分かったようだ。目が合ったとき、「変化」が生じている。声が響いたとき、それは耳だけでなく、骨にまで響いている。つまり、「いだき」に参加していることが、前段の難儀の解決法だということ。

これまでの疎外と収奪と悪しき習慣との中で、すっかり人間的に先駆けることが難しくなってはいるが、なに「ここに」救いはあり、自分は「今ここに」いるではないか。そう一朝一夕に革命は起こらないだろうが、間違った方向に進んでいないことは確かなのだ。険しい道ほど登りがいがあるというもの。「苦しみばかり続くとも、おいで一緒に、わたしたちと」(パブロ・ネルーダ、笠木透訳)わたしたちは平和裏に世の中を変えていく。そしてもう始まっている。わたしはその一員なのだ。

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マドリード展示会場より
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狛江エコルマホールにて
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比叡山にて