passion、狭き門、一粒の麦、いだきアントレプレナー
三鷹市芸樹文化センターのコンサートメッセージ「情熱」が「passion」、イエス様の 受難のことも関係していたことを高麗さんのビデオ講演会で知り、イエス様の存在を感じつつ向かったアントレプレヌールサロンでした。しかし、不思議と世界一のセールスマンは誰かとの答えにイエス・キリストといだきしん先生が答えられたかなり昔の講座を思い出していました。イエス様のことをよく知らなかったあの当時はどこのホテルにも備わっていた聖書の販売量を想像するとなるほどと妙に納得してしまうほどにイエス様のことを知りませんでした。
アントレプレヌールサロンが始まると三鷹のコンサートメッセージについての話の中でアンドレ・ジイドの「一粒の麦もし死なずば・・」と「狭き門」の話をしてくださり、私にとって「passion」が一気にこの日の重大課題となりました。サロンの中では自問自答が長引き、とても時間がかかってしまいましたが、自分の中から先生に聞かずにはいられない衝動が起こり、お聞きすると驚きの連続でした。先生のお話は「イエス様はどうしようもない人間たちのために自ら十字架にかかることを自己犠牲とも考えず、全く恨みがましい感情もなく生き切った(死んでいった)。」「神との契約があって進めた」と私には聞こえました。・・・、それならなぜイエス様は十字架にかかりながら神が助けてくれないことを思わず叫んだのか?・・このことについては私は後々に聖書を編纂した人々によって誇張して作られた話とずっと思い込んでいました。が、そのイエス様の姿を「人間的で感動する」との先生のお答えに驚くとともに「神も自由だ」とお聞きし、驚天動地の心境に陥りました。
「人間が神になっていく」という教訓はよく伺っていましたが、今、この時の自分こそまさにその状態、・・人間が神になってしまう危うさを体現しているとゾッとしました。自分の中に「神は絶対」という答えが思い込みとしてあったからこそ「イエス様は人間的」、「神も自由だから」という明確なお答えから、情熱、passion、受難、人間的、自由、アガペー・・・、愛、・・一つ一つの「ことばの真の意味」に導いていただく尊い経験をさせていただきました。闇の中から光を見出し、やり通すという情熱と愛を常にコンサートで経験させていただいているにもかかわらず、未だにいだき講座の成果を明確に出せない理由を深く理解する大変貴重な時を生かせていただきました。この日の重要課題、もう一つの「狭き門」の意味も同時に深く考えるサロンとなりました。
そして、先生ご自身もセールスマンとは言い難いけれど、営業で実際に学んだと仰る「世界一のセールスマンはイエス・キリスト」という比喩については「いだきアントレプレナー」を目指す者には情熱と愛を体現する目標と理解します。いつも自由なる思考への導きと精神の源への道程を示していただき心よりありがとうございます。