KEIKO KOMA Webサロン

“Children of Okinawa”


摩文仁ヶ丘にて、日の出から日の入りまで、いだきしん先生が演奏されたラストの音 空間、海の光を今も忘れることはありません。今朝、あの時の音をふたたびききたくて CD「A PERFCT MATCH」13曲目Cildoren of Okinawaをかけました。音がなった瞬間、涙涙…でした。あの日、コンサートがはじまったとたん、抱っこしていた甥っ子が真っ白い顔になって眠りつづけました。まるで死んだ子を抱いているようで、ずっと涙がとまらなかったコンサートでした。先生が生命がけで演奏し続け、あのラストの音がなった瞬間、海のなかの黒い塊が空中に引き上げられ壊れ光りにかわったのです。その時、甥っ子が目を開けて「さっちゃん、なんで海きれいになった?」といいました。「斉藤先生がきれいにしてくれたんだよ。」っと話し、腕から飛び起きることができました。そして、2人で海を見に行きました。キラキラと輝くどこまでもひらかれた海になっていました。
募金活動の飛び込みでもわすれられない言葉があります。
「あんたに何がわかるっていうんだ!」とおじいさんにどなられました。後ろからおばあさんが「あなたのせいじゃないのに、ごめんね。戦争がこの人をこんなにしたのよ」と言われ、募金を下さいました。悔しくて悲しくて涙があふれました。戦争をおこすものを自分から必ず何も無くしたいです。又、飛び込みの集合場所で、高麗さんが皆んなに牛乳を買ってくださって、私にはコーヒー牛乳を買ってくださいました。私は牛乳が苦手なことをお話ししたこともなく、ましてやその頃は、講座の調べ以外にお話ししたこともなかったのに、最初からわかってくださる高麗さんに真底ありがとうという気持ちと、ずっと活動をいっしょにやっていきます。っと生命のなかに新たな芽が生まれていました。その時期の応用コースにて、一人一人の資質もしらべていただき、受け容れていただいたときの言葉も、ずっとあります。こわくてずっとそのど真ん中に入れなかった事です。高麗恵子さんといだきしん先生にお会いできた意味を動き深くわかり続けます。活動の機会を与えていただいている恵に感謝してもしきれません。高麗恵子さんが再び沖縄の土を踏まれたこと。自分たちにとっても、地球にとっても、さらに新たなスタートの時がきたと実感しています。新たな活動の機会、巡りに感謝いたします。
ありがとうございます。

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仙台電力ホールにて-2
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