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改めて「死」について考える


「死について」の講座の翌日に、「脳死問題」を扱った文章の読解を迫られるとは!浪人生のY君が、「どうにも読解できないので教えてくれ」と、東大の過去問(1998年)西谷修「問われる『身体』の生命」の一節を持ってくる。「臓器移植は人間の資材化」であり、テクノロジーが人間を人格のない資材として扱うことに問題を提唱すべきという趣旨の文章であるが、「死は、心臓が停止して血流が途絶え、それに続く全身の生命活動の停止として起こる。」という問題文の書き出しから、わたしは考え込んでしまった。たしか先生は、「心臓」が止まってからも生き返ったとか、医師が「死ぬ」と判定しても死ななかった、というような話を何度もされていたから、何か混乱してしまった。「心臓死」と「脳死」の違いを述べ、「脳死」という「中間的身体」を生み出すテクノロージーの在り方を批判しているのはわかるのだが、うまく生徒に説明しきれなかった。「身体的生命」という語も、よくわからなくなった。「精神」とか「理性」とかは、「身体」にあるのか、どこにあるのか、と思ってしまったのだ。「腸は第二の脳」とか言うし、やはり体がなければ「生命」とは言えないのか。どうもわたしは東大に合格しそうではない。(今日はわかっていないことのレポート)

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