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修学旅行は必要か


窓から美しい金色の満月が見え、先生のお話の声と、ピアノの音で、やっと心がきれいになる。出向している高校の職会に出て、すっかり暗い気持ちになってしまっていた。学校当局もいろんな縛りの中で困惑しているのはわかるが、何の独自の考えや予定も語らず、とりあえず「オンライン授業」中心に体裁を整えておくしかないとの連絡ばかりなので、うんざりしてしまう。そこで、熱血教師の一人が、この際、どうせ行けるはずがないドイツの修学旅行(費用30万)の積立金を、返却してやれば、ずいぶん助かる父兄があるのではないか、と爆弾を投げたので、校長たちは大慌て。現金のなさに苦しむわたしなどは、はじめは「イイね」とは思ったが、賛同者がつぎつぎと声を上げていくうちに、待てよ、そんな当座のことばかり考えていないで、あるいはとりあえずの対応ばかりに囚われてないで、もっと生徒たちの教育や、学校としての独自な取り組みを明示すべきではないかと思ったのだった。修学旅行ってなぜあるの? と改めて考えてみた。学校と言えば、修学旅行は当然と思ってきたが、海外まで行くこともないのかもしれない。だが、若いときに、一度でも外国に触れることは、大きな飛躍のチャンスかもしれない。聞けば、今年は体育祭も取りやめらしい。ドイツへの修学旅行をうたい文句にしていた当局は、どうしても辞めたくないのだろう。「楽しみにしている生徒が沢山いるから」と”正当”な理由もあるし。派遣教員のわたしには、なんの権限もないが、暗い気持ちになって帰ってきたのだった。今日の先生のお話しで、教員である以上、生徒たちとどう接していくか、真に「受容」を実践できるか、豊かな生き方を示しうるか、真剣に考えていかねばならないと思った。それで、気持ちは真っ直ぐになった。ありがとうございます。

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