東北に繋がる地 近江・京都
房総半島の南の町で育った私は2月になると海の色が変わり春が来たことを知りました。今日の琵琶湖は、あの海の色と同じ春色をしています。昨日、比叡山・迎賓館にていだきしん先生が表現された世界を聞いていたとわかります。「緊急事態」に際して高麗さんのご決断により急遽開催してくださいました迎賓館でのコンサートを真にありがとうございます。思いも寄らないご招待に驚きながらも、想像すらできない出来事により参加することが可能となりました。大いなる存在のはたらきかけとしか考えられない巡り故に、この度の開催が只ならぬことであるとも感じました。3月17日の「存在論」から「応用コース」、18日の「死について」、「本音で生きて下さい」講演会、ビデオ講演会と全ては「現存在」となっていくプロセスであります。「存在論」では「負い目」と「引け目」の違いを教えて戴き、自己中心的な「引け目」「コンプレックス」で生きて来た自分が恥ずかしく、人間じゃないと感じました。「コンプレックス」からは力は生まれず、何もなって行かないのを知ります。「負い目」に関しては先生とえりかちゃんの関係をお聞きしてわかることができました。まず母を思い、今まで多くの方に「負い目」があり今があります。「応用コース」、「死について」でも、先生のお話を全身でお聞きしている内に、作ってしまった自分を1枚1枚殻を脱ぐように「死にそうな状態」で元気に生きる状態にして戴いているのがわかります。それでも体制の中で生きると気づくとはまっている自分を何とかしたい、世界内存在で生きながら現存在で生きたいと望み、迎賓館コンサートに臨ませて戴きました。社会にハマる頭は悪い頭とお聞きし、これ以上悪くならないようにと弾いてくださるピアノの音は、凄まじいものでした。作って来てしまった自分・体を脱いで「世界内」から脱出するような体感でした。そしてある瞬間、頭にあった重心がいきなりお肚に移ったのです。全く頭が働かず、今まで「考えている」と思っていた状態がなくなってしまいました。お肚中心になったとき「考えている」のは、頭であれこれ妄想を思い巡らしているにすぎないことがわかりました。こんなに頭であれこれやっているので最近は脳が詰まる感じがありました。「脳梗塞」状態であることをお聞きし、最近力も湧いてこず認知症になってもおかしくないと実感しました。迎賓館から八坂の「高麗」にてビデオ講演会に参加させて戴き、さらにボランティアミーティングに参加させて戴き、日本はじめ世界中の人間が「危機的状況」にあることを受け止め、先生の存在をわかり、高麗さんの存在をわかり、コンサートへ参加をしてもらい状況を変えていくよりないと実感しました。先生とひとつであれば生きていける。愛を経験できれば生きていける。迎賓館コンサートに参加させて戴けたことは「多くの方に伝えなさい」ということであることを肝に命じます。東北と繋がる近江・京都の地にて高麗さんの動き「蒼い風」共に活動して盛岡コンサートに向かいます。ありがとうございます。