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人はなぜうそをつくのか


ふと前を見ると、道の向こうに大きな満月が黄色く輝いていて、もう少し行けば、飛び移れそうな気がした。その金の世界に行けそうな予感があった。さっき大阪の野田夷神社の「十日夷」にお参りしてきたご利益のようにも思えた。
人はどうしてウソをつくのだろうかと考え、ウソをテーマにした言葉エクササイズを創り、今日少しやってみた。「狼が来たぞ!」という少年のウソは、単に人騒がせと、「うそつき」を戒める教訓譚として理解が簡単だが、「クレタ島の人は嘘つきだ!」とクレタ島の人が言ったらどうなるか、これは哲学的命題でもあって難しい。ただ、ウソというのか、意外に深い内面の表現であるのかもしれない。内面の言語化は、われわれの課題でもある。
大阪、道明寺天満宮には「鷽替え祭り」(1/25)というのがあって、「鷽」のお守りを交換し合い、(金の鷽を引き当てるのが目当てらしいが……)「嘘」を「真」に変えようという願いが込められているとか。そこで、適宜にウソをカードに書いてもらって、それを交換し合ってから、そのウソ表現を肯定的なものに変えるエクササイズを考えてみた。
たとえば、「わたしは歌がうまい。」とか、「わたしには妹がいる。」とか。人はいろいろなウソをすぐにもつけることにも驚いたが、それを「本音」に近いもの変えることは、とても難しいことであるとも気が付いた。また、その意図が理解できず、「わたしは歌が下手だ。」「わたしには姉妹はいない。」とか、正直な部分に言い換えることだと即断してしまう人がいる。そうじゃなくて、そんなウソをついた、もう少し内面の心を表現してほしかったのだ。「わたしはいい歌を歌いたい。」とか、「わたしにはかわいい妻がいる。」とか。――しかし、これはなかなか頭を使うらしく、参加者は、「難しい!」を連発。内面的で肯定的な表現を模索する機会なのだ。
「あの大きな月に飛び移れる場所がすぐそこにあるよ!」というウソは、馬鹿らしい子どもだましみたいだが、こういうウソはマコトでもあるだろう。
(2020.1.11.記)

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