“可能主義”
悲観主義でも楽観主義でもない立場をこういうそうだ。根拠なく希望を持ったり、不安になったりするのでなく、きちんと事実を把握し、その上で建設的な行動をとるスタンスとのこと。(ハンス・ロスリングの主唱、『U理論・エッセンシャル版』より。)並行して読んでいる『専門知は、もういらないのか』(トム・ニコルズ)で、情報社会の中で、「知識に対する積極的な憎悪」が席巻し、人々を「学ぶ」ことから遠ざけている現状にうんざりしていたが、少し元気を取り戻した。
建築を学ぶ大学生が、太宰治が好きで、自分でも小説を書いている、というだけの理由で、親戚の人に勧められ、わたしのところに「学び」に来だした。その一回目のレッスンをやった。なにをしたと思われるだろうか。「他では学べないことを学べそうだから、行ってみたい。」との気持ちに添いたいが……。
かれは文学や社会についての知識は皆無である。それなのに、『変人』と題する小説(未完)を書いていて、「他者と同じ言動は避けたい。」「歪んだ全体主義の熱心な信者」は嫌い、と高校生の男子を主人公にして、その内面を描いている。それだけに、柔らかい感性と素朴な感覚(自分の生まれ育った町と祭りと家庭が好きなのだそうだ。)を持っている。しかし、「国語力」はない。
まず、「青い鳥」の話をした。(かれはすっかり忘れていた。)そして、「鳩がなく声」という自作詩を取り上げ、「鳥と話がしたい。」というかれの心をくすぐった。聖フランシスコの奇蹟にも触れた。さらに、島崎藤村の『夜明け前』の冒頭に触れ、(かれは信州に憧れている!)文学論を少しする。また、言葉の感化力について、エクササイズの「言葉チャート」をやったところで、もう時間が来てしまった。――かれの表情が和らぎ、若者らしさが見えた。
「言葉の学び」とともに、社会を共に学んでいこう、現代社会について考えよう、とかれに語り、「自由ノート」を勧める。お年玉で万年筆とノートとを買いますと言って、かれは帰っていった。“可能主義”がいい!(2020.1.5.記)