KEIKO KOMA Webサロン

白鵬関の土俵入りと「中間層の共同社会」


もしかしたら!?との可能性があった民主党政権で「何も変わらなかった」ことで「日本社会の可能性が不可能になった」とのことは自分の裡にもしっかりと根付いてしまってることに気づきました。
九州北部豪雨で被災した村が労組などの支援を受けたことがキッカケで連合福岡の映像制作をこの1年間プロデュースしていました。連合は今年が30周年で、結成からこれまでの様々な活動や事件を一緒に企画し、取材に歩き、エピソード集を制作した経験から労組や「働く人」の地道な活動にスポットが当たっていないことや、動けない現場の課題や状況にも接していました。

故中村哲医師がアフガンに導入した江戸時代の灌漑施設「山田堰」も朝倉の住民のみなさんが記録活動をされてることを知り、映像制作と情報発信に関わることになりました。朝倉の住民のみなさんの活動から逆に中村医師の活躍を知り、アフガンからの相次ぐ視察団来訪、国を挙げての事業への発展、とわたしの認識が広がっていったものです。
20数年前のある日、「先がない」とはっきりわかり、その夜に民放の退職を決め、翌月起業し、それ以来20数年間このような事業を掲げて全国行脚してきました。コンテンツ制作、情報発信による地域活動支援、オリジナルメディアの創造、情報化による地域活性化策、今でいう地方創生に繋がるものです。全て いだきしん先生がおっしゃる「プロセスに焦点を当てた」事業なので継続しながら成長する仕組みになってきています。

応用講座の最後に先生から「中間層の共同社会の創造」との構想をお聞きし、これまでにやってきた事業が生きると直観しました。そしてドストエフスキーの悪霊の世界、白鵬関の土俵入りの不思議が違和感なく理解できる中間層の人々の存在が要になると推察します。先生が新しく表現された「死者たちの民主主義」という意味はまだよく理解できていませんが、神界ネットワークを筆頭に高麗帝国、そして「中間層の共同社会」と次々と表現していただく新しい社会建設の構想は歴史を尊重し、人間的で、全く新しい社会像を感じ、大いなる可能性を見い出します。

随分前から空間がすっかりと変わっていることを教えていただき、「動けば変わる」環境は日々ひしひしと感じます。資質を生かした仕事で地域、社会に貢献することは視野に入ってきましたが、後はもう一つの大きな課題、資質を生かした仕事でお金をしこたま稼ぐことです。このタイミングでのアントレプレヌールサロンの開催がとても有難いです。
いつもありがとうございます。

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美しい姿で表れました。
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