時間
初めて介護をはじめたころ、重度認知症のかたからいただいたものがあり、私は原点と考えています。そして今も多くの学びがあります。訪問してもその方の時間で生きているので、留守で長時間を玄関先で待つこともあります。でも考えたらその人は自分の時間で生きていて、支援してもらっているという感覚ではないのです。むしろ短い時間でその人の必要な支援を行うことができるかを考えたとき、こちらの都合だけでする援助は本当に援助なのかを考えます。ついこの土日から夜行き始めた仕事場も認知症と呼ばれる人がたくさんおられます。けれど何十年介護の仕事をしているからとか言うことはなく、自分の体が前と違うということを改めて思い知るとともに、一人一人に必要なことをできているのかということ。それぞれに仕方ないでは済まされない人生最後の時期を過ごしておられます。NPOいのちのデイサービスがキラキラと輝く希望です。
ギリギリですが色々と知恵が働き、今日も「死について」、京都応用コースに参加できることも、なにかに導かれているとしか見えないのです。豊かに希望を持って。8月15日、16日の笛の音が太鼓の響きとともに体にあります。休んではいられないのです。
ありがとうございます。