わが存在意義
西洋から「哲学」が入ってきて、「存在論」が可能になったのであり、昔の日本人が深くものを考えなかったわけではない、ということが分かった。「民主主義」も「資本主義」も、「憲法」だってそうなのだ。(何を今更分かり切ったことを確認しているかと言われるかもしれないが、こうして時折整理しないと混乱してしまうのだ。)そして、「存在」と「時間」の相関が、いま一つ分かっていない。「存在」を規定する「時間」、「死」のことか。「存在」を表わす「言葉」も「音楽」も「時間」と密着している。しかし、「存在」は対象化できないとも。『存在と時間』を読まないでは……)。結局は、バイアスを避けて「即興」で表すとき、わずかに見えるようなことか。感受性をよく保つことに尽きるか。その意味で、受講できてよかった。気持ちの中の影のような部分は消え去り、前進の気迫は養成されたから。
参議院選挙の結果、わたしの投票は選挙区では生かされず、比例区では生きた。しかし、よく頑張った結果だったようにも思う。善戦している。「存在」意義を追求している。