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存在論


存在論はこんなに面白いことはないと感じる至福の時間でした。自分はなぜ生まれたのか、なぜ居るのか、日々問います。しかし自分はこれでいいのかと不安に襲われることもしばしばあります。自分が自分であることがわからなくなる状態で不安を感じると教えていただき、不安という状態があっても、そこから自分自身に配慮ができるかどうかによって、また自分は何なのかをわかる問いが立てられることによって、自己の不安を解いていける、そのような生き方に喜びが生まれました。自己を配慮できる人間でなければ人のことを配慮することは出来ず、人の中に入り込んで関係することはできないとお聞きしたことも喜びでした。いだきに出会う前さまざまな治療家と言われる人たちに会っていました。会えば会うほど絶望し人不信になっていく状態でした。いだきしん先生に初めてお会いした日、東郷天音ちゃんと初めて呼んでくださったその一言に私は大変驚きました。子供であるとか、女性であるとか、親の子であるとか、その他どんな外側の要素とも無関係に、私を私という1人の存在として受け容れて下さったとわかった一瞬に衝撃を受けたのです。かつてあった治療家の方々にとって私は強いストレスを感じて苦しんでいる子供であり、対象化されていくことがさらに生きることの苦痛を増やしていました。いだきしん先生の東郷天音ちゃんの一言は存在論に通ずる初めての経験であったと、関係という一言から改めて思い出されました。
講座の中で自分の存在を覆っている余計なもの、生まれつきのものを剥がして行ったあと、何があるのか?という先生の問いかけがあり、その答えとして「真理」と白板に書かれ、「真」と仰られた瞬間、講座2日目の経験が突如記憶に蘇り思わず涙が溢れました。講座2日目、一枚一枚ベールが剥がされ、最後に出会った光は真であり、真を経験した人生という事実は、紛れもなく事実であると目の前に表れました。その瞬間考えていたのは死の間際のことでした。死ぬ間際になって、真と出会ったという事実を思い出して悔やむような一生はおくりたくないという気持ちになっていました。求めてやまない、真理をわかるところへ出会えた奇跡を感じ、人生の起点は講座2日目に初めて出会い経験した真理の存在、光であると感じました。先日のアントレでは基盤という表現で教えて下さいましたが、今日は真理存在、それがパワーアップしていくことで始めはどんな小さなことでもいいと仰られたことに気合が入りました。少なくとも自分が生きている間にやることがビジョンであり、ビジョンの元はこの光であることも希望でした。いだき講座を経ていなければ、同じビジョンという言語でも本当は通じていないことを理解します。頭の中で作り上げたモデルを制度に当てはめて仕事をやろうとしてもなっていかないことをはっきりとお聞きし、一方で小さなことであっても自分の存在から始まることはちゃんとやっていこうという気持ちになりました。
死について、アントレ、存在論、テーマはそれぞれですがひとつ全てに通づる普遍的なことがあることは凄いことと感じます。
ありがとうございます。

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