いのちの感覚
秋晴れの澄んだ空間にひびく鳥の声に笑みがうまれ、かさかさと鳴る葉ずれの音がここちよいです。
天候までがらりと変わった10月1日から続いていた、内面の変化のゆれがようやくおさまってきた感じがしています。
ひさしぶりに高麗さんの『出会い』の本をひらきました。
たまに読みたくなるのですが、その中にある”自然とひとつである生命の意識”ということばが初めてじぶんの中に入ってきました。
意識ということばはなかなかつかめず、あまり使わないのですが、たしかにふだん社会生活の中ではたらいている意識とは別の意識があるように思います。
高句麗伝説のあとから身におこっている変化は、そのふたつの意識がひとつになっていくはじまりだったように感じます。
激しい揺れを体感することもなく、この足をついている地面が、いのちが生きる場に変わっていました。
ふだんの生活でもいのちとひとつの意識じゃないと生きれなくなってきました。
応用コースで聴くことについてうかがったので、府中コンサートでは、自然の音を聴くように先生の音に集中してみました。
いろんな音があるのがわかり、聴いているとじぶんのいのちを感じました。
いのちのひびきが音になっていました。
いのちの感覚があることが、これからを生きる必須のスペックだと感じています。
そのいのちの感覚が養われる先生の講座やコンサートです。
