中心
本当に久しぶりなのか、物心ついて初めてなのか、恐怖を感じない朝を迎えました。昨夜、ここに恐怖について書かせていただきました。お読みくださる先生や皆様に申し訳ない気持ちがあり、何度も削除しようかと考えましたが、書かせていただき、恐怖の元はやはり神の目と見えたのです。いつも神の目と呼ぶ目が頭の中に見えます。裁きの神であります。排除、排斥、抹殺といく恐怖は常にあります。私はアブラハムのイサク燔祭を聖書で読んだ時のショックがずっとあるのです。信仰を明かす為に愛する我が子を生贄にしなければならないことが受け容れられずに苦しみました。教会で復活の希望とか永遠の生命を得ると教えていただいても怖くて受け容れることはできませんでした。私にとっては裁きの神が世界を支配し、人間を分断していくと見え、自分の頭の中に見える神の目が怖くてなりませんでした。9.11の特集番組を見、あの時からアメリカは他国への攻撃がはじまり、世界は争いが絶えなくなったと報道され、犠牲者のご家族は亡くなった家族の死が報われないと話していました。真に悲しく心痛むばかりです。私には世界で起こることの元は裁きの神に支配された頭と見えてならず、自分の頭の中にも見える神の目が怖く、さまざまな葛藤は表現し尽くせない程ありました。ここに書かせていただき、ありがとうございます。今日は見える風景が違っていました。すべては滅びに向かっていると見えていた街も人々も、あるがままが見えるようになりました。何がどうと今は表現できませんが、見える世界が変わり、生きる世界が変わり、ありがたい気持ちでいっぱいです。
その日に先生のライブ配信での「お話し」をお聞きでき、それこそ中心は決まります。大変素晴らしく、感動的な高句麗のお話と死者のお話に体中熱く、汗だくとなりました。先生は死者と生者とつなぐ役割があるように感じるとおっしゃるお話しは納得します。そのような方がいっらしゃる今この時をわかり生きていかなければいけないとは四六時中働きかけを受けています。今日のお話をお聞きし、錯覚ではなく、現実のことであったとわかり、安心し、喜びが生まれます。体の中心がわかっていれば死者のはたらきかけとひとつに共同事業ができるとは希望を感じます。反面、体の中心がない状態では憑依され、生命が犠牲になるともよくわかります。中心をなくしたり外したら国が滅ぶことと同様なのだと分かった瞬間、それこそ死者がはたらきかけて教えてくださったとわかる次元を超える体感でした。体の中心を取り戻す年に一度の天を祀る祭りは、終わらない生命を得ることもわかり、感謝の気持ちで震えました。生者は死者がやりきれなかったことを死者と共にやっていくとのお話も実感としよくわかり、力が湧いてきます。先ほど書かせていただいましたが争いによる犠牲者が報われない世界は人間の生きる社会ではないと甚く感じ、人間とし生きる事を一人一人がはじめていくことが急務と考えます。国は滅んでも高句麗人は生きている、死者は生きているとの表現に魂震え放しです。幼い頃より、永遠の生命を求め続けてきました。信仰によっては恐怖を植え込まれるばかりでしたが、先生がお話くださる高句麗人が死んでも生きていることには真に永遠を感じ、求めてきた生き方を得られ安堵し、感謝で一杯です。世界中に散っていった高句麗人がいることもときめきを感じます。五女山城、国内城、丸都山城、北朝鮮の地へと中心が移動していくこと、何より朱蒙様は中心を体現し生きたこと。。。全てのお話は感動することばかりで生きる力となります。10月1日の「高句麗伝説」へ向かい、次の15日のコンサートも26日のコンサートも今日お話いただきました死者と生者をつないでくださる表現をしてくださるとお話くださいました。それこそ中心が決まります。自分がやることも見えます。やっと迎えたこの機会を皆で活かしていきたい気持ちでいっぱいです。先日の応用コースを終え帰宅した時、先生のお言葉は先祖の魂の声と生命で分かった瞬間がありました。今日のお話で納得します。自分の内にあり続けた恐怖、自分をうらむことが消え、迷い、ゆらぎは消えていきます。大変ありがとうございます。
詩会の時に、ある起業した方がチラシまきで仕事を作ってきたので、チラシまきで高句麗伝説を満席にしたいと発言してくださいました。私もその光景が見えていましたので、早速今日はチラシを作りました。明日からご用意できますので、配布してくださる方はどうぞよろしくお願いします。毎日やりきり向かいます。ありがとうございます。
