いのちの賛歌
京都コンサートに参加し、今日は休日でゆっくり京都コンサートのオンデマンド配信を聞ける身の安らぎはたとえようもありません。気温もすっかり低くなり、ピアノの音はどこまでも響いていく空間の広がりを感じ、日本や世界中の困難にある人々の胸にも伝わっていくことを願います。アンコールの拍手と先生の演奏に、このあたりに住んでいる高齢の鳩がいるのですが、途中休みつつも3回も鳴き声で集ってきており、愛らしいです。他の鳥も目の前の電線にとまってきて、先生のピアノの音に耳を澄ましているのが分かり、会話をしない植物に目を向けると、彼らもじっと音の世界に耳を澄まし、感じているのだと、自然界はひとつにそれぞれのいのちで先生の音に生命を育んでいることに喜びます。
あまりにも豊かな音の調べに天の揺りかごにゆられている心地よさに、この心地よさを世界に伝えていくのはどうしたらいいだろうか。-京都コンサート-
夏休み期間だけの仕事で仲良くなった人たちにコーヒーを差し上げ喜ばれました。ここでの仕事で学ぶものの多さに、今まで曖昧にしていた姿勢が正され、日本人として、国の法律に乗っかっているのではなく、この国を豊かに繁栄させていくには、一人一人、生まれた国の民族として、どう生きるか、すっかり抜けていた部分を最認識させられたことに感謝しています。
京都コンサートの第一部「まだ名のないほうへ」では、ぼやけているけど、心あたりのある何かが胸の奥で音をたてます。ある瞬間、銀河満載の宇宙へ吸い込まれる光景の中を飛翔し、「タイムラグは解消された」、と言葉が聞こえます。認識の曖昧な頭はタイムラグとは何かと意味をしっかり理解したく、ネットで後で調べ、「ああそういうこと」、と、内面で感じます。
第二部「生まれたほうへ」では、京都に来るとき、取った昼の高速バスの下車地をネットの注意書き不足で間違えてとってしまい、大阪でより降りれないことが分かり、「京都コンサートに間に合わない」と、朝早く出てきていて乗る予定のバスを乗車寸前、車掌さんが自分のIPadで親切心でキャンセルして下さり、「窓口で不乗者届を発行してもらえばいいよ」、と仰っり、払い戻しも大丈夫になりました。「新幹線でいけばいい。」と生まれ、新幹線切符を買い求め、余裕もって京都に来れたことを思い出していました。浪漫あふれる内容ではなく現実を生きる経験でした。が、車掌さんがとても親切で心満ちました。
「生まれたほうへ」の演奏をお聞きしていくうちに、天遥か彼方から以前聞いたことのあるようなものすごい聖なる光の音のエネルギーが内面に注がれ、これって、「8人の天女」の音に似ている、と、前回の三鷹コンサートであったか、同じエネルギーの音を経験し、この連続の経験の中で、かつて、人生悩み、人生の山場をなんとかして超えようとしていたあの時、中心それないように、このCDばかり必死で聞いていたあのシーンが蘇り、今も、人生の岐路をどう行くか、それは、生まれるほうへ、なのか、と感じていました。
二部の、先生の演奏の状態で、神をも超えた存在とつながり、お姿がまるで変わってしまう衝撃は、存在をかえてしまう神聖な力に包み込まれてしまう力が持続しています。大変な京都コンサートを経験してしまった感が今もあるのです。先生の舞台でのお着物も、遠くからよく見えませんでしたがノスタルジーなオリエント文様であったように見え、最近やっと面白く読めるようになってきた古代オリエントの本があり、先生のお着物にもつながる空間に心魅せられていたのでした。
生命は、過去も今も未来も、一筋の線でつながる魂の世界で、様々な民族の戦争の織り交ざれる悲しみの歴史は、先生の生まれる音の世界で愛ひとつに包まれ、新たな愛の世界に立ち戻れる未来が近づいてきているように感じるのです。地球環境の温暖化による天災も今よりも多く起っているこの地球の新しい環境の変化の中で、人間が生き延びていくためにも、いのちの声に沿って生きていく時となっているのだと、どうするか、今日はずっと書けなかったのですが、久しぶりに生まれたことをマーブリングノートに記します。故郷で暮らし生きていた年月をとうに超え、長くいだきで生きさせていただいている人生、親って、家族って、人生ってなんだろうと感じます。両親の生きてきた時代は戦争時代であり、ものの考え方も全く違っており、その中で生まれた子どもが隠された資質を活かし生きていくには、その環境から抜け出さなくてはなりません。おひとりおひとりいろいろな道をたどり、先祖のはたらきによって、先生と高麗さんに出会え、いだき講座を受講できたことの奇跡に亡くなった親や先祖に感謝しています。先祖の事をもっと深くわかりたい今です。新しい中心の意味を解釈でなく生きることで分かっていきたい今です。京都コンサートの開催を心よりありがとうございます。
