いのちはわかっている
のびやかな秋の空に心重ね合わせ歩いていくと、心晴れやかになり、よろこびが生まれる三鷹市芸術文化センターへの道のりでした。
よい状態でコンサートに参加できればいいなと感じるので、会場に向かい歩きながら、からだが充実していったことがうれしかったです。
狛江コンサートから頭痛をともなって、あたらしい状態へと変化し、その変化の波が落ち着いたころに、また次のコンサートに身を置けるめぐりとなりました。
メッセージにあった「向き」のことばを意識した三鷹コンサートでした。
先生のピアノの音によって、からだが工事されるように調整され、からだの中に柱が立ちました。
ひびきのよい風のホール全体にこの身がひろがり心地よかったです。
たまたま座った席が、ピアノの椅子の延長線上で、まっすぐ前を向くとピアノを弾かれる先生のお姿がありました。
先生の音とからだのあいだにあるものをどかせばいいんだと感じ、余計なことがあたまに浮かんでくるたびに捨てていきました。
ポイッと捨てればなくなっていくので、おもしろかったです。
あるところで、ピアノが壊れるんじゃないかというほど激しく音が鳴りひびき、そこからラストに向かい、内面がどんどん深まっていきました。
「向きはいだき」ということばが生まれました。
まわりはほとんど理解しないなか、いだきの催しにからだが向かい、いまも向かいつづけるのは、いのちがわかっているからとわかりました。
それも生まれたときからわかっているような、そんな感覚も生まれました。
中心から目を背けるのは終わりと感じました。
長いあいだ人を縛ってきた観念などがいかにおかしいか、人が瞬時にわかる世界でした。
よろこびや悲しみ、感動など、いろいろ入りまじった涙がこみあげました。
ありのままをもっとわかっていけそうでしたが、そこで演奏が終わりました。
また数日おいてアントレ、そして数日おいて京都コンサートと続くこの流れがすごいと感じています。
このようなときを創り続けてくださり、ありがとうございます。
