花火のフィナーレ
書き込みを拝読し、マイケル・ジャクソンが白い姿で美しく踊り舞っていたことを知り、心から良かったと安堵しました。生前、天才的才能と純粋さとを持ち合わせた彼が、社会の柵(しがらみ)にがんじがらめにされ生命までも取られていく姿に、多くの方と同様に私も心痛めておりました。先日映画を鑑賞した際、彼が世界をひとつとする気でいたことを知り、更に惜しい人を亡くした気持ちが湧いていたところでした。また、昨夜は弟も傍におりました。何故だか軽く「生きてたのね」と感じている自分があり、亡くなったことが幻想だったかに思われておりました。母にも会わせたいと感じるところでもあります。演奏中は、ただひたすら胸に何tとも思われる重圧がかかり、どう息をすればいいのかもわからない状況に陥っておりました。ガザのことが浮かび、世界中の恐怖が解(ほぐ)れることを望み拝聴しました。今朝京都に到着し、午後から仕事にて店頭に立っておりました。5人でシフトを組んで都合の合う日に一人で入っております。これまでは意識しないようにしながらもお互いの成績が気になり、どこか競う気持ちがありました。しかし本日はそう言った比べる気持ちが消えていることに気づきました。これも、辿れば恐怖心が根っこにあったのでしょう。終了後玄関ホールをでると、夜空に見事な打ち上げ花火が次々と上がっておりました。思わず歓声を上げて喜び、コンサートの成功を祝福しているかに映りました。素晴らしいコンサートをありがとうございました。
田嶋利江子
