「リズム」
20日の「先生のお話」をライブ配信でお聞きしました。「リズム」のお話をお聞きしながら、自分の知るリズムとは何か違うと感じながらお聞きしました。高麗さんのビデオ講演会や書き込みを拝読して、先生のお話しになる「リズム」とは違うことをさらに感じました。昨日は1ヶ月に最低一度は参加するという自分の願いであります「高麗屋」さんでの催し、「高句麗の地を旅する会」と「今日の語り」に参加させて戴きました。いのちから発する言葉、状況を変える言葉を表現できればという気持ちはあれど、空回りします。「五女山」の映像と音楽と生の高麗さんの即興詩、「白頭山」のまるで次元の違う別世界の映像と音楽と即興詩により、全く日常ではない経験をその場でしているのに、発する言葉は自分の枠でくくった世界の域を脱することができないでいることを、高麗屋さんの場で高麗さんの前で表現させて頂ける機会があり知ることができます。いのちはこの資本主義の体制から抜け出し、自分のやりたいことで自由に生きていきたいのに、一歩を踏み出せない状況がもう十数年続いているのです。今の生活、家事代行で生活する収入を得て、そのことで「身体を置き去り」し、先生にお会いする機会を戴き「身体を取り戻し」ながらも、その機会幸運を活かさずに人生が終わってしまいます。高麗屋さんで高麗さんにお会いして、言葉を表現しても動かない現実にある言葉は虚しいばかりです。やりたいことは、より一層はっきりしてきます。「高麗恵子」さんを伝えることなのですが、それには本や詩集を売るということを考えますが、仕事にすることができずにいます。一歩踏み出せないのは、「そのことでは生活できない」という、自分自身の強い縛り込みがあります。しかし、今の時は、ここまで導いてくれた魂、長い年月待ち望んでる高麗さんの存在を伝えたい魂。魂は先に行っているとお聞きした時、このまま今生きてる自分が何も始めなかったら、完全終了すると感じています。こんな状態だからリズムがわからないのです。光の世界で生きるリズム。明日の先生の誕生日のコンサート。「救済のリズム」というお言葉に、人類の救済のときというものすごい時の場となる明日の三鷹のコンサートを感じ畏れ多いです。一歩踏み出せない自分を責めてもはじまりません。先生の誕生日コンサートに参加し身を置くことより「生きる道なし」です。ありがとうございます。
