KEIKO KOMA Webサロン

生命ひとつ


第一部「身体を置き去りにしない」

情報が先に進み、頭が先に進み、世界があまりにも速く動く時代に、私達はときどき自分の身体を置き去りにしてしまいます。
車の運転を例えにすると、目的地だけを考えていると危ない。ナビの到着時間、次の予定、渋滞、焦り、頭の中の思考だけが先へ先へ行ってしまう。体が置き去りにされると、運転は乱れます。反応が遅れ、余計な力が入ります。見えているようで、見ていない。急ぎ過ぎる。危険を感じる前に、頭だけが先に行ってしまいます。

身体が戻ってくると、運転は変わります。
内面的に充実感に満ちてきます。視界が広がります。
車間距離が整い、呼吸が安定します。
車と身体と道が、ひとつの流れになります。
置き去りにしている身体が戻るというのは、今この瞬間、ハンドルに触れている手、アクセルを踏みブレーキを踏む足、前を見る目、呼吸、身体の感覚がちゃんと車と一緒にいることです。
万事このように、身体の良いはたらきを見失わないことです。
今日の音は、生命をもう一度帰すためにあります。


第二部「愛との関連」

身体を置き去りにしないということは、単に健康や集中の話ではありません。
実は、愛を失わないための条件です。
なぜなら、愛は頭だけではできないからです。
言葉だけでも、情報だけでも、善意だけでも足りません。
愛は、相手の存在に対して、こちらの身体ごと「応答」することです。

呼吸がそこにあり、胸がひらき、皮膚が世界を受けいれ、足が大地に触れ、こちらの生命がここにいます。
その時はじめて、相手を「処理」するのではなく、相手に触れずに、触れるように受けとめることができます。
身体を置き去りにしたところに愛は残りません。
愛とは、生命が身体を通して、もうひとつの生命に体ごと「応答」するのです。

今日もコンサートメッセージは図星の内容でした。今この時に最も必要であり取り戻すべき内容にあまりに的確な表現に笑いまで込み上げます。一部の運転の例えは手に取るようにわかります。自分の状態そのままです。ちょうど昨日は途中からどこまでも運転できる体と精神状態を経験でき、快適に比叡山まで来れました。その前はメッセージに書かれてあった状態そのものでありました。「頭の中の思考だけが先へ先へといってしまう。身体を置き去りにされると運転は乱れます」ここでも身体を置き去りにしているのです。演奏に生命丸ごと身を任せました。身体を感じ、今日も全身が疲れ果てていることを自覚します。昨夜は眠くてたまりませんでしたが、眠れなかったのです。頭が痛くて眠れないのでした。18日の府中でのコンサートにて身体を取り戻した時、疲れ果ててしまいました。普段疲れるように生きているので、現れたとは自覚しています。その時から目の神経が痛み、頭痛がありました。目が疲れてしまい目を閉じても今度は目に見えない世界が見えてしまい、疲れるのでした。目で見るというのは対象化していますので、自分も他者も対象化し別物とし見てしまいます。身体を置き去りにする始まりかと考えました。今日のコンサート一部の経験により頭痛が消えていきました。ピアノの音はただただ心地よく、宇宙空間に居るようであったり、心地よい風に吹かれているようであったりと気持ち良いばかりです。一部が終わった時、すぐに椅子から立てずにいました。力が抜けて、ずっと座っていたかったのです。少し休み、椅子から立ち上がりましたが大変な労力を使った後のようで今日も疲れ果てていました。対象化し見ていると緊張し力が入ります。疲れるのだと実感します。2部も心地よい演奏に身を任せている時が最高に幸せを感じました。2部では対象化する意識が生命に溶け込み、溶けていきました。メッセージは一言、一言が身に沁みました。生命ひとつで生きているのに対象化しわけてしまう状態は身体を置き去りにしているとよくわかります。身体を感じるので、人と交流できるのです。愛についてのメッセージはよくわかりました。そして演奏により経験させていただき、やっと人間になれると感じています。「生命ひとつ、愛」である生命であることをずっと先生から教えていただいています。分かったつもりとそう生きている生命とは全く違います。つもりとなるのは、身体を置き去りにしている故ともわかる経験となりました。人間とし当たり前の生き方がやっとできる時が来たと感じ、安堵します。一回一回のコンサートは真に生き延びる経験です。人間になる経験です。これほどの経験ができます人生に感謝よりありません。ありがとうございます。

KEIKO KOMA Webサロン
仙台 電力ホールにて
KEIKO KOMA Webサロン
KEIKO KOMA Webサロン