何も語っていない時なのに
不安や苛立ちがあることすら無視して焦っていたことに気づき、ましてや「静けさ」も不安や苛立ちと同時にあるなんて思ってもみませんでした。その時生まれる「ゆらぎ」も…あのこの上なく感動したコンサートから数日たっても、ずっとコンサートが続いているようです。
だんだんメッセージのことばが、沁みています。朝、新しいCD「玄牝」をおききしている時も、車窓から遠くに光った白梅をみつけた時も、高麗さんの詩集を人と一緒に巡っていく時も、10年掃除機をかけたことのないお宅のお掃除にはいった時も…です。コンサートの日、夜中にヴォイス講演会も、書き込みでもkeikokom.comでも、パレスチナの詩人の方が高麗さんへのお返事に「なぜならいつの日か私たちは生き延びられるのだと、思い起こさせてくれたからです」ということにふれ、胸ふるえ涙があふれました。ありがとうございます。梅の花の便りのままに、お便りをだします。
ありがとうございます。
