2026年丙午のお正月
今年は全く違うお正月がはじまりました。2010年京都八坂の高麗ギャラリーカフェが出来て毎年お正月は八坂の高麗ギャラリーカフェに新年のご挨拶に母とともにお伺いさせていただくことが恒例になっていました。昨年四月に母は亡くなり昨年のお正月に八坂「高麗ギャラリーカフェ」に高麗さんに御挨拶に伺い、ロームシアター京都「出会いの一日」に参加させて戴きましたことが最期になりました。今年は初めてひとりで過ごす元日でしたが、新春スペシャルを企画して戴き、新生アンフィニからのいだきしん先生のご講演と高麗さんの講演会を自宅にてライブ配信で参加させて戴きました。そして昨年のアントレプレヌールサロンの時にお正月の高麗屋さんの催しが発表になって、内容も確認する前に夢中で申し込んでいました。昨日は「高麗恵子コーヒーセレモニー 開運」と新春「語りと語り合い」に参加させて戴きました。本当は3日の早朝に家を出る予定にしていましたが、降雪注意の情報が流れていて、さらに帰省ラッシュと重なることから2日の夜から出発しました。案の定、冬用タイヤを装着していない帰省する車で高速道路は渋滞していました。スーパームーンの前日の月明かりに照らされた富士山は荘厳で静謐、心が洗われただ自然とともにある状態で運転していました。早朝には東京に無事に着きほっとしました。仮眠し身支度を整え「高麗屋」さんへ伺いました。高麗さんにお目にかかりご挨拶するとき、来れて良かったと幸せ満杯です。毎月高麗屋さんに伺うことを目標に仕事をしています。今年はやりたいことをして稼いで高麗屋さんに伺うことができる年にしたいです。「高麗恵子コーヒーセレモニー 開運」では先生が高麗屋さんのために焙煎されたとお聞きするコーヒーを特別な方法で淹れてくださり、ひとりひとりにぴったりの先生の作られた器で出してくださいます。高句麗衣装で参加させて戴きましたわたしの目の前に、高句麗衣装と同じ青い器を置いてくださいました。一口戴くと今まで飲んだことのない聖水が全身に広がり全身何も無くなります。栗と高麗さんが小豆と対話しながら煮てくださった小豆の入った大福に圧倒されながらも一口また一口と戴くたびに五女山に向かう道が開けてくる香りがします。一人ひとりにぴったりのマーブリングの和紙に墨文字で書いてくださるお言葉は生きる指標です。どう生きるか示されているので実行あるのみです。その後の「新春 語りと語り合い」の前には地下のギャラリーで多くの作品に触れ、夢が広がります。高麗さんが講演会、書き込み等でもおっしゃていた枕草子の言葉「雑魚の言葉は字余り多し」に昨年暮れ28日の「今日の語りと語り合い」に参加させて戴き、その状態を改善すべく「詩で表現する」ことをご提案され、臨む新年の「語りと語り合い」では、今まで使っていた言葉であっても先生のコンサートの経験を重ね、日々わかり変わっているから同じ言葉でも違うことがわかります。高麗さんの語り、即興詩で「国創り」という音をお聞きするたびにこみ上げるものがあります。今まで自分から発することができない真、「国創り」という言葉でした。心には「王ともに」あることの幸せ、いっしょに国を創ることができる喜びが沸き上がってきます。「高麗恵子」さんとともにあることが、魂の悲願であることを実感する「高麗屋」さんです。参加された方々の詩をお聞きすると目に浮かぶ光景があり、まるで相聞歌のように詩を詠まれる高麗さんの詩に出会えて魂の流れをみます。このように豊かな経験のできる「高麗屋」さんの場がこの上なく貴重な場です。催しが終わり、お見送り戴く高麗さん、スタッフの方たちとスーパームーンを見上げ帰路につくことができ幸せいっぱいです。秀吉の中国大返しならぬ「近江大返し」のごとく日帰りする大津までの帰路、道中はスーパームーンの月明かりに照らされ途中、富士山が月明かりに浮き上がり新春のスタートを祝福してくれているようです。深夜三時過ぎに無事に帰宅できました。ありがとうございます。琵琶湖をめぐりながら、高麗さんの本や詩集を売っていくことが元日、二日とスタートしましたが、いろいろ工夫、表現などまだまだやることがありひとつひとつやっていくことが楽しみです。次は6日の三鷹での先生のコンサートに参加させて戴きます。一回一回身を運ぶことがいかに真の自分の人生を歩むことであることを実感します。ありがとうございます。
