降り積もる銀杏の葉
職場の近くに大きな銀杏の木が並んでいる小さな公園があります。紅葉の季節になると、その銀杏の木々が金色に色づき、地面は金色のじゅうたんが敷き詰められたように明るくて夢のような世界に変わります。まだ静けさの残る朝の時間、金色の落ち葉の上をそっと歩いてみると、かさ、かさ、とやさしい音がします。人工物では決してしないような繊細な音です。金色も自然の創り出す金色はとても柔らかくて、温かみがあり、全体がほのかに発光していて、辺りがやさしく温かい光に包まれています。銀杏の木の中から不意にヒヨドリが「ピーヨッ・・!」と鳴いて、まるで挨拶をしてくれているようだったので、「おはよう。またね!」と声を掛けました。こういうひとときがとても心が満たされ安らぎます。
「玄牝」というタイトルのコンサートの経験を経て、高句麗伝説、三鷹でのコンサート・・と、今まで想像も出来なかった領域へどんどん導かれ、人間はこれほど清らかで聖なる世界に共鳴できるものなのかと、今も尚、その尊い経験は、降り積もる銀杏の葉のように、心の裡に美しく積み重なり、朝に見た銀杏の落ち葉のじゅうたんのように温かく広がり光を放ち続けています。
先生の三鷹コンサートでのメッセージも深く心にしみ入ります。お聞きしているとき、詩のように感じていました。
10代、20代の頃、自分の心にふれる文章に出会う時だけ生き返ったようになり、心に光が差し込み、生きていけると感じました。先生のコンサートメッセージをお聞きして、あのときのぱっと目の前が明るく開ける感覚が蘇りました。かなり以前に、人間は聖なるものよりも汚いもののほうに反応すると人から聞いて、妙に納得していた記憶があります。自分にとって醜いもの汚いもののほうがリアルであり説得力があって、聖なるもの、清らかなものは、つるんとして頼りなく、存在感が薄いように感じてしまうのでした。
気がつくと、そんな世界が完全に砕かれ、ひっくり返っていました。聖なるもの、清らかなものが、ますます力を増し、存在を増し、しかも限界が無くてどこまでも深まり、広がり、これで良いと留まることなく未知の領域へとどんどん導かれて行きます。最近のコンサート、高句麗伝説ではそのように感じられてなりません。
人間の生きる世界、宇宙は、大転換してすっかり変わったこと、その中に生かされる自分も、身体も内面もすっかり入れ変わっていることを日々実感します。美しいもの、清らかなもの、聖なるものが主体となって、どんどん力と輝きを増していく只中に生きています。
今日は狛江での応用コースに参加させて戴きます。どのような経験になるのかとても楽しみです。
一つ一つがかけがえのない経験となって、美しく積み重なり、深まり、広がっていきます。
ありがとうございます。

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