KEIKO KOMA Webサロン

生まれる光


12月2日の三鷹コンサートを経験していなければ、先の未来は、無難な人生を創り、つまらない時間に身を費やしていたでしょうと感じます。頭の中のどんでんがえし、とは、この度の経験でありました。頭の意識はがっくりきて、生命は勝ち誇り、尊厳を取り戻した闘いのようであります。

第一部の「間(あわい)に触れ」では、心の大地に静かに降る雪が生命の大地を清め、優しい気持ちに包まれ、愛をとりもどしていくような心地でした。いつしか私の両手には、幾重にも花びらが広がる赤い花がありました。一部の終わりには水の流れが見え、川となり、さらに大きな川となり、次第に見えてくるのは、輝く水面の鴨緑江でありました。鴨緑江においては、まだ対象的に見ているところがあり、生命の言葉と一致していない違和感があります。

第二部「玄牝の開花」
第一部で見えた赤い花がそうであったのかわかりませんが、途中の演奏とともに、身体がぐっと熱くなり身体からゆらゆら湯気が立ち上るほどであった時、はっと気づかされたのです。「この熱いエネルギーは先生が演奏しているのであって、頭の意識は別のものに憑りつかれている。」と、「こっちだ。」と、気づかされたのでした。
気づいてからは、頭の意識の逆転が起こり始め、「表面的には仕事もうまく成っていっているから、とても満足している。これでいいじゃないか。」と、ごまかし生きていたことに気づくと、本音が演奏とともに生命に顕れ、ここから未来に向かって生きていくよりない、と、コップに入った水がコップもろとも壊れ、中身が全部流れ出し無くなっていくような心地でした。がっくりきた頭を体の上に乗せ、本音より自分は生きていけないと、腹をくくったコンサートとなってしまいました。

 今年の9月9日開催の先生の三鷹市芸術文化センター風のホールのコンサートライヴCD&音源の販売のご案内がありましたが、第一部では、私は幸せ満ちる経験をさせて戴きました。自分の書き込みを改めて読み直し、まずい!と思いました。まったく逆の成り行きに頭は済まそうとしていたからです。生命はそうはいかなく、一度生まれてしまったものは、どんなにつぶされても、コンサートでまた、復活してくるのだと何度かお聞きしています。命が生きていくために、ありがたく命拾いしました。人の役に立ち、世界の平和に向かうよりない生命をごまかしていては、幾世代にもさかのぼる先祖に申し訳ないと感じます。今年最後の月、あと3回あります、先生のコンサート、なにもなくなった頭で、向かっていきます。つながるすべてに、先生、高麗さん、ありがとうございます。

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