恋慕
現代的医療、教育、社会の枠を抜け出し3歳までに持っていた自己の能力を取り戻し、「今」に発揮し、未来を創造する生き方を身につける講座をたっぷりと2時間余り受けさせていただきました。講座の後は凝縮された2時間余りに起こったことをじっくりと内省し、美味しいものを食べて、ぐっすり眠って身体全体を整える。朝、目覚めると昨夜には気づかなかったことに気づき文章になる予感が生まれます。
昨夜の応用コースの自己のテーマは渋谷コンサートの第二部の「恋慕」の意味がよくわからなかったのできちんと理解することでした。質問への先生のお答えはいつも10倍返し!?のように豊かに丁寧に教えてくださるのでお聞きしているときはかなり集中します。理解が深まる一番のきっかけはウクライナの皆さんが一部「真の花」を聞いた感想に「Flower」と表現する方がおられたとの高麗さんのお話でした。そのことを聞かれた先生が言葉を超えてそのように理解できる方々がいることで祖国の現状を変えていけるという意味の話をしていただき、恋慕がきっかけでとても大事なことを学びました。
恋慕に関しては今朝起きてから、講座の中で「愛慕ではない」と先生が仰ったことが蘇り、その正確な意味に接近しそうでした。愛慕でなく恋慕であること、”恋慕”には、「一時的な恋心や永遠の想い」を含み、幽玄の世界まで通じ・・とあり、続いて「人生にとって欠くことができません」という先生の表現だったのが妙に気になるのですがよくわかりませんでした。霊魂も含んだメッセージということもあるのかなと感じ、お聞きしたら「生きている生身の人間」へのメッセージということでした。その時にコンサート終了後のウクライナの方々への高麗さんのインタビューをすぐ側で撮影していて感じとったある感情が閃き、恋慕がしっくりと来る感じがしました。祖国に向かうとても大切な気持ち、感情のように感じました。で、ここまで書いてくると高句麗伝説で感じた高句麗の暮らしや蘇った魂、存在に共鳴、共感する感情も蘇ります。それが「恋慕」という言葉と一致するかどうかわかりませんが、書き表せていないものも含めて今はこのように感じます。
先生が語られる「人生150年」を生きる新しい生命は人間に起こっている全てのことを一つとして理解する全体性を身につけることで可能にするとあらためて強く感じ、それも歌を詠うように先へ先へ向かって生きることと学びます。
いつも尊い経験の場と自分で考え、実践する数多のヒントをありがとうございます。